マップを別ウィンドウで開く

彦根城案内図見どころ

彦根城周辺の案内図と見どころをご紹介します。
なお、彦根城(内堀より内側)・玄宮園の観覧には入場料が必要となります。彦根城観覧について

観光マップのダウンロード

彦根城と彦根観光の案内マップがPDF形式でダウンロードいただけます。ダウンロードページ

1 天守 (てんしゅ)

天守

国宝彦根城天守は北西に附櫓(つけやぐら)が、さらに長い多聞櫓が連なります。また、破風は変化の妙に富んでいます。天守一層目の軒に並ぶ八つの「へ」の字形の切妻破風は、それぞれの大きさと奥行きに変化をもたせ、二層目は、南北を切妻破風、東西を入母屋破風とし、南北にが唐破風が設けられています。この切妻破風、入母屋破風、唐破風を組み合わせた類い希な美しさは見逃せません。 彦根城の天守は、長方形(梁行に対して桁行が長い)で、表門から登ると目に入る東の面や、琵琶湖側から望む西の面は、そそり立ち端正な佇まいを見せます。逆に南、北の面はどっしりと幅が広く安定した面もちです。また、一層目は、大壁の下に下見板が取り付けられ、窓は突き上げ戸になっています。

2 西の丸三重櫓 (にしのまるさんじゅうやぐら)

西の丸三重櫓

本丸の西側一帯を西の丸と呼び、その西の丸の一番はずれにあるのが三重櫓です。
10m以上にも及ぶ高い石垣の上に築かれています。三重櫓の東側一帯は桜が植えられ、春にはお花見のスポットとして賑わいます。

3 太鼓門櫓 (たいこもんやぐら)

太鼓門櫓

本丸への最後の関門である太鼓門櫓は、東側の壁が無く、柱の間に高欄をつけ廊下にしています。
登城合図用の太鼓の音を響かせるために考えられたのではないかといわれています。
太鼓門櫓を過ぎると、正面に天守が現れます。また、時報鐘の前に立ち、右に太鼓門を見ながら仰ぐ天守雄姿は格別です。

4 天秤櫓 (てんびんやぐら)

天秤櫓

表門から坂を上がって行くと廊下橋(非常時には落とし橋となる)が見えます。
この橋を中央として左右対称に建てられているのが天秤櫓です。まるで天秤のような形をしているところから天秤櫓と呼ばれています。
日本の城郭でこの形式のものは彦根城だけです。
また、橋は鐘の丸から渡され、廊下橋と名が残っています。今は架け橋ですが、往時は両側に壁があり屋根のある橋でした。中の人の動きが外からは見えないようにしてあったといわれています。

5 時報鐘 (じほうしょう)

時報鐘

城全体に響くようにと『鐘の丸』より移されたもので、今も定時に鐘がつかれ「日本の音風景百選」に選ばれています。
幕末期12代藩主直亮の時に、より美しい音色にしようと鋳造のさい大量の小判が投入されました。
隣接する聴鐘庵は茶屋として薄茶(お菓子付¥500)を楽しむことができます。(9:00〜16:00)

6 観音台 (かんのんだい)

観音台

養老4年(710)近江の国司藤原房前(ふささき)によって、彦根山に一寸八分の観音像を本尊とした彦根寺が建立されました。金の亀に乗った観音さまを安置する御堂があったといわれています。
観音さまについては目に御利益があると言われ、そのうわさは京にも広まり、白河上皇や大臣はじめ多くの人が彦根山観音に参詣されたと言い伝えがあります。

7 山崎郭(山崎曲輪跡) (やまざきかく)

山崎郭

木俣屋敷があった場所で、凱旋した井伊直孝を迎えた場所といわれています。かつて山崎門がありました。
訪れる人は少ないですが、木々に囲まれ静かな空間がぽかりと広がり、こころ安らぐ場所です。
四季を通してのんびりと美しい場所。

8 梅林 (ばいりん)

梅林

かつて、彦根城の公儀御用米の米蔵があった場所。
例年は、3月中旬から下旬にかけて、紅梅・白梅など約450本が春の訪れを告げます。
彦根城が新日本観光地百選に選ばれたのを記念して、この梅は植えられました。

9 馬屋 (うまや)

馬屋

元禄時代(1688〜1703)に建てられ、常に十数頭の藩主用の馬がつながれていました。
昭和43年に解体修理されたこけら葺きの屋根が美しく、城内に残る馬屋は彦根城だけです。
明和(1764〜1771年)のころ、火災により類焼。修理されましたが、こけらぶきの屋根は棧瓦(さんがわら)ぶきに変えられました。昭和48年解体修理の時、もとのこけらぶきに復元されました。

10 玄宮園 (げんきゅうえん)

玄宮園

城の北東にある大名庭園で、琵琶湖や中国の瀟湘(しょうしょう)八景にちなんで選ばれた近江八景を模してつくられました。4代藩主直興により延宝5年(1677年)に造営されました。
毎年9月中「虫の音を聞く会」が催され、大名庭園ならではの趣が味わえます。

11 鳳翔台 (ほうしょうだい)

鳳翔台

玄宮園内の築山に建つ趣のある建物。
かつては、藩主が客人をもてなすための客殿でした。
この鳳翔台から眺める玄宮園の美しさはすばらしく、庭園を鑑賞しながらの薄茶(お菓子付¥500)の味わいは格別です。(9:00〜16:00)

12 楽々園 (らくらくえん)

楽々園

槻(けやき)御殿は藩主の下屋敷で、玄宮楽々園の名で国の名勝に指定されています。
四代藩主直興が延宝5(1677)年に造営。大書院、地震の間、雷の間、楽々の間など、工夫を凝らした部屋が残っています。
楽々園の名は「山を楽しみ水を楽しむ」「民の楽しみを楽しむ」という心からと言われています。12代藩主直亮が文化年間(1804-1817年)に佐和山や内湖が見える楽々之間を造ってから槻御殿という正式名より、楽々の名が有名になりました。

13 佐和口多聞櫓 (さわぐちたもんやぐら)

佐和口多聞櫓

いろは松から彦根城を訪れる時、最初に出逢う櫓。左手に見える櫓は明和8年(1771年)に再建されたものです。現在、重要文化財に指定されています。
手前は昭和35年(1960年)に再建されたもので、現在は開国記念として使われています。

14 いろは松

いろは松

表門橋に向かう中濠の沿道の松並木で47本あったのでこの名が付けられました。
現在34本(補植12本)残り、当時の面影が偲ばれる通りです。
第3代井伊直孝が、諸国から取り寄せた竹木を城内に移植する際に、通行の妨げにならないように、根が地上に出ない土佐松が植えられています。

15 埋木舎 (うもれぎのや)

埋木舎

井伊直弼が青春時代を過ごした舎。
「世の中をよそに見つつも埋もれ木の埋もれておらむ心なき身は」と直弼は和歌を詠み、自ら「埋木舎」と名付け、文武両道の修練に励みました。徳川幕府の大老として開国の父となった才能はここで培われたといわれます。