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重要伝統的建造物群保存地区(彦根市河原町・芹町地区)

彦根城下町の南東部に位置する河原町、芹町は慶長9年(1604年)から始まった彦根城の築城に伴う新たな城下町の建設に起源を有し、城下町内外の人々が集まる繁華街として栄えた伝統的なまちなみを残しています。

彦根城下町は、大規模な土木工事によって計画的に造られた町で、建設前は多くの渕や沼のある湿潤な土地が広がっていました。城下町の建設は、現在の安清町付近から北上して、かつての松原内湖(現在は干拓地)に注いでいた善利川を、約2キロメートルにわたって現在の河道に付け替えるなど、大規模に行われました。当地区を貫く道は計画的に整備された直線の道とは異なり、緩やかに屈曲しています。これは城下町建設のため芹川の旧河道を埋め立てて地割したことによります。また、川原町(現在の銀座町・河原2丁目・3丁目)の地名も善利川の旧河道に由来するとされています。
当地区の町の成立年代については、川原町が元和4年(1618年)以前から開発されていたと伝えられています。また寛永18年(1641年)には芹新町(現在の芹町)が町立てされたと伝えられています。安清村一帯(現在の芹町・河原3丁目・錦町・大東町)は、元和から寛永(1615年~1644年)にかけての城下町の拡大にともない町が形成されました。それ以前には、安清村が成立しており、成立は早く、永禄年間(1558年~1570年)の景観を描いたとされる「彦根御山絵図」にその名を見ることができます。
明治期の河原町、芹町の様子は、明治7年(1874年)作製の「地券取調総絵図」から知ることができます。安清町(現在の河原町1丁目、3丁目)は、町の南端部の東側の町屋が細分され奥行きも深くなっています。芹新町(現在の芹町)は、江戸時代後期に描かれた「御城下惣絵図」の整然とした町割りから、自然発生的な字界などを利用した町割りへと変化しています。大正から昭和にかけて、彦根に絹糸工場が建設されたこともあり、繭を取り扱う者が安清町や芹新町に現れ、新たな業種を取り込み、市内の主要な商業地域として発展しました。なお、当地区の西側の川原町の一部(現在の銀座町)は昭和36年(1961年)に防災建築街区造成事業により、道路の拡幅と階高を揃えた4階建てビルの立ち並ぶ商店街へと変貌し、伝統的なまちなみは姿を消しました。しかし、久左の辻から東側の当地区は、伝統的なまちなみが残り、現在も往時の歴史的な風致を感じられる地区として、平成28年(2016年7月25日)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

重要伝統的建造物群保存地区(彦根市河原町・芹町地区)

滋賀県彦根市河原1丁目、河原2丁目、河原3丁目および芹町の各一部
http://www.city.hikone.shiga.jp/0000008845.html