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市指定文化財 彦留神社 石造宝塔

 彦留神社については、延歴年間(782年~806年)の創祀で、近江守護佐々木京極氏の崇敬が厚く、近郷の在地領主も武人として崇めたと伝わっており、江戸時代には亥大明神・彦留亥神と称し、明治以降に彦留神社となりました。

 石造宝塔は、彦留神社の境内敷地の北端に、高さが約0.3m、直径が約5m程度の円形の土盛りの上に設置されています。この土盛り周囲には礎石1基と五輪塔の水輪部分2基が存在し、礎石については板石の上に設置されており、現在では、手水鉢として転用されています。
 石造宝塔については、相輪、笠、塔身、基礎の石材がそろっているものですが、それぞれの石材石質(いずれも花崗岩ではあるが、わずかに鉱物組成が異なる。)や規格、劣化の度合いの違いから、もともと別個体であったものを集めて構成されていると判断できます。全高が323.8㎝、最大幅(基礎部)が114.5㎝、制作年代としては刻銘が確認できないため、実年代は不明ですが、塔心部の形状、特に勾欄の表現が、鎌倉時代末期から南北朝期のものとされている金剛輪寺宝塔と類似しています。
 基礎については、高さが58.2㎝、幅が114.5㎝、奥行きが115㎝を測るもので、格狭間は陽刻され、内部に文様は彫られていません。上面には高さが約3.8㎝の段が付いています。
 塔身については、軸部と首部が1つの石材で作られており、高さが約76.2㎝、軸部の最大径72㎝を測ります。摩滅が著しく彫刻の判別は難しいですが、外周に12本の柱を表現していると考えられるわずかな膨らみが確認でき、本来は柱と扉形の表現があったものと考えられます。上部については、ドーム状に丸みを浴びて狭まり、勾欄部となっています。勾欄部についても円筒形で勾欄が12の長方形のへこみで表現されています。
 笠部については、笠と露盤が1つの石材で作られているもので、高さ45.1㎝、幅97.5㎝を測ります。ともに平面四角形を呈し、笠部は宝形造り、下り棟は反りは弱いもので、下端近くに面が作られ、鬼瓦を表現しています。相輪部については、一般的なもので、下から伏鉢、請花、九輪、請花、宝珠までが1つの石材で作られています。寸法は、高さ140.5㎝、九輪部の径22.7㎝、背が高く、寸胴な印象を受けるものです。
 本件については、石材表面の摩滅が著しく、記年銘等は残存していません。また、各部の石材についても、笠と塔身については正安4年(1302年)の記年銘のある石塔宝塔や、編年研究から鎌倉時代後期のものと考えられ、金剛輪寺宝塔と同時期のものであると判断できますが、相輪の請花の形状が反らずに丸く収まる点や、基礎の格狭間内の文様が印刻にならずに陽刻になっている点などに形式的に退化傾向が確認でき、これらについては、時代が下るものの後補石材と考えられます。ただし、これらの石材を使用して、構成されている宝塔が保存されているということは、当地の中世仏教文化を物語るにあたって欠くことのできない文化財であると同時に、小字として法蔵寺や藤田屋敷、東出屋敷等の地名が残存している点からも当地の中世社会全体を考えるための貴重な物証としても期待できるものであり、保存の必要があると考えられます。

市指定文化財 彦留神社 石造宝塔

滋賀県彦根市彦富町