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福満遺跡(福満公園)

福満遺跡の発見は、大正7年にさかのぼり、旧城南小学校北側水田の地下約1mの深さのところから、弥生時代後期の土器が掘り出されたことによる。この土器は、現在、城南小学校に保管されており、この地方の弥生時代後期の指標的な土器の1つになっている。

 彦根市は、旧愛知、犬上、坂田の各部の一部を含んで成り立っており、地形的には河川等で大きく4地区に分けられ、福満遺跡の所在する西今町は、犬上川北岸に位置している。この犬上川は彦根市と多賀町の境付近まで扇状地を形成しており、当遺跡周辺は沖積地を形成しながら琵琶湖へと注ぐ。現在の犬上川は、竹ヶ鼻の集落付近で大きく回り込むが、旧河道は一定のものではなかったと考えられる。福満公園付近には、2次にわたって発掘調査を行った品井戸遺跡がある。この調査結果からみれば、当地域は、後背湿地と自然堤防から成り立っており、この後背湿地の中を犬上川の旧河道は、粘土層・砂層・砂礫層が互層になった状態で、品井戸遺跡では、これが最大の包含層となていた。遺構は、自然堤防上の微高地で確認された。このことから見れば、犬上川は現在の様に流路が一定とは考えられず、低地を流れていたものと思われる。
 福満遺跡の周辺に目を転じれば、西今町と竹ヶ鼻町の間には、バラエティに富んだ遺跡がある。前記のように品井戸遺跡には、第1次調査において、2間×2間の総柱の倉庫と考えられる建物跡と縄文時代晩期から中世にかけての包含層が確認されており、第2次調査では包含層が形成されていた湿地の南西側微高地からは、弥生時代終末から古墳時代初頭にかけての方形周満墓・弥生時代後期の溝・中世の土杭等が確認されている。
 また、この品井戸遺跡から犬上川までの間には、椿塚古墳と竹ヶ鼻廃寺がある。椿塚古墳は、東海道本線の湖岸側に残された直径30mほどの竹やぶで、東海道本線路床工事の土砂採取の際に、石室より長脚2段透かしの高杯・杯等の須恵器が出土したといわれる。竹ヶ鼻廃寺は、竹ヶ鼻町の東側に広がると考えられており、白鳳時代の複弁蓮華文軒丸瓦等古瓦の出土が知られている。同様に白鳳時代の複弁蓮華軒丸瓦等古瓦の出土は、福満遺跡の南約2㎞の高宮町遊行塚でも知られている。この地には、その実体はほとんど不明であるが、北東約1㎞の山之脇町に山之脇遺跡がある。この遺跡は、土師器が出土したといわれる。以上が、現在知られている犬上川北岸の遺跡である。
 犬上川南岸では、竹ヶ鼻廃寺の対岸にあたる堀町の横地遺跡が、昭和55年に発掘調査が実施された。その結果は、封土が削平された古墳数基・住居跡・溝等が確認されており、弥生時代後期から平安時代におよぶ複合遺跡である。その立地は、品井戸遺跡と同様に安定した微高地に位置していた。
 以上のことから、犬上川流域の古代を考えれば、犬上川の後背湿地に人々が進出したのは早く、縄文時代晩期までさかのぼることができ、現在、確認されている。この時代以降、安定した微高地が生活の主な場となり、重層的に遺構が残される状態となる。また、古墳の築造、白鳳時代寺院跡の出現等を考えれば、この地方の中心的な地域であったといえるだろう。
 福満遺跡は、現在、埋め戻し整地され「福満公園」として、大型遊具などが設置され、憩いの場として活用されている。また、公園内には遺跡から出土したものをモチーフとした池や埴輪の案内板などが設置されている。

福満遺跡(福満公園)

滋賀県彦根市西今町