彦根の観光スポットや、お食事、お買い物、宿泊施設をご紹介します。

茂賀山城跡

 茂賀山城は小林氏代々の居城でした。
 戦国時代になると京極氏・浅井氏の臣下となりました。
 姉川の戦いでは、小林宗正が藤堂高虎とともに、織田信長の本陣まで迫る勇猛振りを発揮し、信長にも賞賛されたが、宗正は討死しました。
 やがて、浅井氏が滅びると、姉川での勇猛ぶりから宗正の息子・正国と正敏が信長の側近として召し抱えられ、その後、本能寺の変で信長と運命を共にします。
 秀吉の時代になると、茂賀山城主は正国の子・正祐がつとめました。
 関ケ原の戦いでは、西軍に属して岐阜城を守りますが、岐阜城が落ちると茂賀山城まで帰城します。その途中で関ケ原の戦いに敗れて落ち延びる島津義弘と出会い、高宮までの道案内・誘導した。
 その後、小林氏は彦根藩に城を追われ、南川瀬村で庄屋として過ごし、茂賀山城は歴史の闇に消えてしまいます。
 亀山小学校の裏には、茂賀山・亀山・金鶏山など幾つもの名前をもった小さな山があり、子どもたちの遊び場となっています。
 この山は元々はもっと大きかったのですが、造成工事によって削られてしまい、今は丘のようにしか見えなくなっています。
 現在は、茂賀山には歴山碑があるだけで「城跡」のようなものは残されていませんが、そんな茂賀山には不思議な伝説が残っていることで知られています。

 冒頭で、「いくつもの名前を持った小さな山」と申し上げましたが、その中の一つ「金鶏山」からもわかるように、「金のニワトリ」の伝説が残っています。

 昔々、この国の歴史がまだ神話でしか語られないくらいに古い昔の事、天の国はアマテラスよって支配され、地上は『因幡の白ウサギ』で有名な大国主命によって平和な時代を迎えていました。ある時、アマテラスは自分の孫に地上の支配を任そうと考え、視察のために天若日子(アマノワカヒコ)を派遣します。この時、天若日子は金のニワトリに乗って亀山に降り立ちました、そして、山に金のニワトリを隠して大国主命の元へ向かいました。大国主命に会った天若日子はその人柄に惹かれ、その娘・シタテルヒメと結婚してしまい、本当の仕事を忘れてしまいます。
 そして8年が経ち、天若日子が戻らない事を不思議に思った天の国では使者を派遣しますが、その使者は天若日子に矢で射られ、息も絶え絶えに天に戻りました。そんな使者を迎えた天の国のタカミムスビが、「もし天若日子にやましい心があるなら、この矢を当てさせたまえ」と言って矢を放つと、地上で寝ていた天若日子の胸に刺さりそのまま亡くなります。こうして金のニワトリは亀山に隠されたままになってしまったのです。
 それから、何百年も過ぎた13世紀の事、亀山に城を築いた若い殿様がいました。
 ある晩の事、殿様が月見をしていると、聞こえてくる虫の音に交じって若い女性の美しい声が聞こえてきました。
「どうか、この石をどけて下さい」
驚いた殿様が声に応えると、
「私は、もう何百年もの間、ここに閉じ込められています、雨が石を叩く音を聞き、風が木々をゆする音に、私の翼が風をきる日を思い起こし、蝉の子とお話をしながら、何百年も主の帰りを待っておりましたが、ついにその日はやってきませんでした」
お殿様が、不思議に思いながらも石を動かすと、中から眩しい輝きと共に金のニワトリが現れました。
「ありがとうございます。これで天の国に帰れます、お礼に金のタマゴを差し上げましょう」
と、言いながら空へと昇って行きました。そしてそこには大きな穴が残されていました。
金のニワトリが飛び立ったあと、殿様が恐る恐る穴を覗くと、数え切れないくらいのの金のタマゴが残されたいたのでした。
お殿様は、
「これは素晴らしい、城の宝にしよう」
と言って穴を大きな石で閉じてしまいました。

冒頭で、茂賀山は造成工事の時に削り取られて今は小さな山になっている事をお話しましたが、この工事の時には金のタマゴは見つかりませんでした。
このお話がただの昔話なのか、それとも今残されている小さな山の中にまだ金のタマゴが残っているのか…。

茂賀山城跡

滋賀県彦根市賀田山町