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旧彦根藩足軽組屋敷 中藪組・瀧谷家住宅

彦根城下の足軽組屋敷は、城下町のもっとも外側に、城下を取り囲むように屋敷を連ねて彦根城と城下町を守備する役割を担っていました。彦根藩の足軽は、慶長期(~1614年)に中藪組6組と善利組12組が設置されたのを皮切りに、元和期(1615年~1623年)には藩の加増に伴う足軽増強により、善利組8組と上組1組を設置。同様に寛永期(1624年~1643年)には切通組3組・中組4組・上組2組がそれぞれ新設されました。このように彦根藩の足軽組屋敷は総体として江戸時代の早い段階で整えられました。

 中藪組・瀧谷家住宅は旧東栄町(栄町1丁目)に位置しています。敷地の北・西の2面が道路に接していますが、北側の道向かいには日蓮宗の蓮成寺があります。この周辺は江戸期の町割りが色濃く残っていますが、歴史的建造物は多くはありません。このような中で瀧谷家には、道路に面して木戸門と目板瓦葺の塀を構えた足軽組屋敷の建造物か残っています。
 その主屋は、梁間が4間半、桁行が5間の切妻造・桟瓦葺・妻入の形式です。平面構成は南北方向に分けて考えることができ、居室北側は「ざしき」「げんかん」「あがりぐち」といった接客空間、居室南側は「なんど」「だいどころ」といった日常空間になっています。「ざしき」には床を備え、長押を回しています。
 「なんど」と「あがりぐち」・「だいどころ」の上部はどちらも「つし」があります。
 現在、主屋の入口は北側の道路から木戸門を通り、突き当りを右手に折れたところにあり、その奥に「あがりぐち」が設けられています。しかし、建築当初は、木戸門を通ってすぐに右手に折れた位置に「げんかん」「ざしき」へと至るための正式なものと、「あがりぐち」横にある土間の北側から入って「あがりぐち」へと至る普段づかいのものの2つを設けていたことが、建物の痕跡調査や安政2年(1855年)の「家相図」などから推測することができます。そのほか、「ざしき」「なんど」の西側には道路との間に庭を設けています。また、小屋組の現状は、和小屋になっていますが、土間部分を落ち棟としています。屋根は一部で垂木の野地に改修の手が加えられているものの、安政2年(1855年)の「家相図」と比較しても、江戸時代後期の足軽組屋敷の姿を良好に留めています。
 近年、彦根藩ゆかりの足軽組屋敷は日を追って減少しています。瀧谷家住宅は、若干の改造はあるものの、江戸時代後期の中藪組足軽組屋敷の姿を良好に留めており、今後の中藪組足軽屋敷の保存と活用に大きく寄与する歴史建造物です。


※外観のみで、内観は非公開となっております。

旧彦根藩足軽組屋敷 中藪組・瀧谷家住宅

滋賀県彦根市栄町