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句碑 冶天 句碑

荒神山の麓にある千手寺山門前に、旧彦根藩の俳人・森川許六の弟子である冶天の句碑があります。

 「きぬ一重 ぬきもさためす 初桜」

 冶天は、旧彦根藩の俳人で、芭蕉十哲の一人としても名高い森川許六のあとを継いで彦根蕉門道統三世となった森野冶天です。
 正徳5年(1715年)、森川許六が亡くなったあと、芭蕉道統三世となった雲茶店冶天は、愛知川宿の俳人・西澤里秋の祖父にあたります。冶天は通称森野宗兵衛冨秋、元禄4年(1691年)に生まれ、延享4年(1747年)没。57歳。彦根藩士、のち、古医方名護屋玄医門医師。冶天の娘から里秋とりうが生まれています。
 冶天は、藩主・井伊直惟の命により、享保17年(1732年)、歌仙奉納の使者となって春日大社に赴いています。
 彦根蕉門はその作品と許六の俳論によって高い評価を受けており、男らしく知的で時に繊細な武家の個性は多くの人を魅了していました。
 冶天は、彦根にあって本拠地を束ねる体制を築き、同じく許六の弟子である二世・孟遠は京都を基点に中国地方や九州に行脚するなど、彦根蕉門を広めるべく、活発な俳諧活動が行われました。しかし、その孟遠と冶天が亡くなってからは衰退していきます。その後は、冶天の弟子で陸奥から帰郷した道統四世・衹川が蕉風俳諧への復興運動の一端に参画しています。その間、彦根蕉門の支援と支持を続けたのは、城下の藩士たちではなく、里秋ら彦根周辺の俳人たちでした。
 その山門から続く先に千手寺がありますが、境内にはその冶天のお墓や歌碑があります。
 

句碑 冶天 句碑

滋賀県彦根市日夏町