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市指定文化財 吉川家住宅

吉川家住宅は、現在の城町1丁目、江戸時代には城下町の中堀と外堀の間にあった下魚屋町の町筋北側に位置しています。

 下魚屋町はその町名のとおり、城下町建設当初は魚を取り扱う商業者が集住する同業者町でした。慶安2年(1649年)の「下魚屋町御改帳跡」によると、下魚屋町92軒中、家持28軒・借家20軒を合わせて48軒の魚屋町が存在しており、その軒数は半数を超えていました。城下町の人々が食べる魚類は、この下魚屋町と上魚屋町(現在の本町2・3丁目)の市場に搬送され、ここで競にかけられて小売商や担い売りの商人が入手し、彼らによって城下町の人々の手に渡りました。「下魚屋町家並絵図」には、吉川家住宅の位置に「吉川小左衛門」と記されていますが、小左衛門の生業が何であったかは判然としません。吉川家では、一時期、郷宿(公事宿)であったと伝えています。郷宿は領内の村々が公事訴訟のため城下町に滞在する際、宿泊を提供した施設です。訴願にやってきた村人のために寝食を提供するとともに、訴状の書き方や紛争当事者の間に入って内済するべく仲介の労をとることもあったといいます。
 吉川家住宅は、桁行が4間、梁間が6間の切妻造・桟瓦葺・平入の町屋であり、建物の表と裏それぞrに半間の下屋がつきます。建物の表構えは、1階の居室側には2種類の平格子を設けています。また、2階壁面・軒裏は塗り込められており、軒は出桁造、軒下両脇には袖壁、壁面には虫籠窓を設けています。
 1階の平面構成は、現在、居室に利用されている「れんじ」「げんかん」「なかのま」「ざしき」と土間、「だいどこ」からなり、「れんじ」「げんかん」は「なかのま」「ざしき」より一段床が下がっています。しかし、部材の痕跡より、「れんじ」「げんかん」は一部屋であり、「だいどこ」も土間であったことから、かつては「通りにわ」に沿って1列3室とする構成になっていたと推定されます。また、表側の下屋部分にはこの近辺の伝統的な町屋に散見する井戸が存在します。2階の平面は、前面に奥行2間ほどの「つし」のみとなっています。また、小屋組は明快な構造をしており、整然とした印象を与えます。
 吉川家住宅は、江戸時代には城下町の中堀と外堀の間、つまり内町に位置しており、外堀の外側の外町に現存する江戸時代の町屋に比べると、柱や小屋組が重厚な造りとなっています。このことは昭和52年度に指定した同じ下魚屋町の旧広田家(納屋七)住宅とも共通する特徴であり、内町の数少ない町屋の姿を良好に伝える歴史的な建造物として貴重です。


※外観のみで、内観は非公開となっております。

市指定文化財 吉川家住宅

滋賀県彦根市城町