石碑 井伊水軍水主町跡

松原村は 1937年(昭和12年)の市制施行に伴い彦根市に合併されるまでは、「犬上郡松原村」として独立した集落でした。
松原村には、1931年(昭和6年)当時、18の字があり、そのうち、水主町は井伊氏が彦根城主になった1604年に、彦根藩の米蔵があったり、商人、藩専用船を扱う船乗りが住むところで、琵琶湖とつながった濠に隣接しており、水上運送の役割を担っていた船頭達が集められ作られた町です。
合併前の1935年(昭和10年)の国勢調査によると、当時の松原村の世帯数は294、人口は1,308人である。内湖周辺のその他の集落としては、北に「米原町」、南には「彦根町」と「北青柳村」、東に「青波村」などがあった。しかし、松原村以外の集落の住民が日常生活において松原内湖とかかわることはほとんどなかったといいます。
現在の総合運動場は琵琶湖とつながった内湖があり1910年代(大正初期)から埋め立てられました。水主の町並は今なおその当時の面影を残しており、「井伊水軍水主町跡」と刻まれた石碑が建っています。

石碑 井伊水軍水主町跡

所在地滋賀県彦根市松原1丁目