芭蕉高弟の森川許六の別荘跡です。 旧中山道から位左谷川を渡ると東海道新幹線高架があり正面は墓苑ですが、高架下を通り抜け左の墓地管理事務所が奥にあります。 句碑は、彦根藩士・谷鉄臣の筆によるもので、
「水すしを 尋ねてみれは 柳か那」
と彫られている。
「許六」の号は「六芸に秀でたる才人」と芭蕉がつけたといわれています。許六は、五老井(ごろうせい)と号しました。 許六の晩年は病床にあり、五老庵で諷吟、編著に情熱をかたむけ、正徳5年(1715年)に亡くなりました。墓は彦根市内の佐和町にあります。