若宮八幡宮(産の宮)

中山道沿いに、足利義詮の伝説の「産の宮」があります。
南北朝の争乱の頃、足利尊氏の子義詮が、文和四年後光厳天皇を奉して西江州に戦い、湖北を経て大垣を平定し、翌五年京都に帰ることになりました。その時、義詮に同行していた妻妾が途中産気づき、ここで男子を出産しました。付人として家臣9名がこの地に残り保護したが、君子は幼くして亡くなってしまいます。生母は悲しみのあまり髪を下ろして醒悟と称して尼になり、この地に一庵(松寺)を結んで幼君の後生を弔いました。
ここに土着した家臣9名が竹と藤蔓で作った葛籠を生産するようになり、松寺の北方に一社を祀ってこの宮ができました。
古来より「産の宮」として多くの人が安産祈願に参詣しています。

若宮八幡宮(産の宮)

所在地滋賀県彦根市葛籠町