石碑 朝鮮人街道

朝鮮人街道は、野洲の行畑(現在は小篠原)で中山道から分岐し、琵琶湖近くを通り、近江八幡や東近江を経て彦根で再び合流します。その名は江戸時代、外国使節団である朝鮮通信使が現:ソウルから江戸まで訪れる際にこの道を通行したことに由来します。

彦根市内は、日夏町・甘呂町を経て芹川を渡ります。その後、彦根城の外堀跡にそって西へと曲がり、高宮口の門をくぐって城下町へと進入、再び北東へと進路を変えます。
朝鮮通信使は江戸への往復時に、彦根で宿泊しました。一行の中心である正使・副使・従事官の三使の宿泊所は宗安寺でした。
朝鮮人街道は船町で右折します。古沢町を過ぎ、佐和山に入っていきます。山の中の中腹まで登った後は、南東に下り、現在の県道239号線に合流し鳥居本町に入り、朝鮮人街道の終点であり、中山道と交わる中山道道標に着きます。

朝鮮通信使については彦根市のページをご参照ください。

石碑 朝鮮人街道

所在地滋賀県彦根市