いろは松

いろは松は中濠沿いの松並木で、江戸時代「松の下」と呼ばれていました。この場所は藩主の参勤、着城で必ず通る場所で、当時47本植えられていたことからいろは47文字にちなみ「いろは松」と呼ばれるようになりま

オオトックリイチゴ

オオトックリイチゴはバラ科キイチゴ属の一種で、彦根城以外には知られていない彦根城に固有の植物です。春に直立する茎を出し、茎の高さは 2~2.5メートル にも達します。6・7 月に側枝を伸ばすようになる

登録有形文化財 スミス記念堂

昭和6年、日本聖公会彦根聖愛教会の牧師で彦根高商の英語教師でもあったパーシー・アルメリン・スミス氏が両親を記念し、大工宮川庄助氏と協力して城町の堀端に建設しました。外観は寺社建築を模しながら、梁や扉に

七曲がりの仏壇街

中山道の高宮宿から彦根城へ向かう道を彦根道と言い、芹川の近くで幾度も道が屈曲しており、ここを七曲りと呼んでいます。現在は彦根の伝統産業の仏壇を作る店が軒を並べています。 伝統工芸品「彦根仏壇」は、木地

歌碑 万葉歌碑

旧中山道の芹川にかかる橋、大堀山の麓に歌碑があります。 大堀橋から、大堀山の麓を見ると、石碑が2つあります。 一つは「鳥籠山(とこのやま)(大堀山) 不知哉川(いさやがわ)(芹川)」と刻んだ石碑。 も

歌碑 万葉歌碑

JR彦根駅の東口を出て右側に少し歩くと歌碑があります。 歌碑には「淡海路(あふみぢ)の 鳥籠(とこ)の山なる 不知哉(いさや)川 日(け)のころごろは 恋(こ)ひつつもあらむ」とあります。 第37代の

歌碑 万葉歌碑

元号「令和」の出典となった万葉集。その万葉集は現存する日本最古の歌集で、収録されている約4,500首のうち、滋賀県を背景に詠まれた和歌は約108首あります。近江の風景が人々の心に深く刻まれていたことが

登録有形文化財 上野家住宅主屋

彦根の城下町は慶長9年(1604年)から始まった彦根城の築城に伴い建設されました。 上野家住宅の建つ旧本町一帯は、城下町建設の当初に着手されたと伝えられる町で、城下町のほぼ中心部に位置しています。当時

登録有形文化財 不破家住宅主屋

旧高宮宿で通りに西面する入母屋造妻入の二階建ての建築です。 平面は右手に幅広の土間を通し、左手に四室ずつ二列に並びます。良材を用いた譜請で座敷飾も上質です。塗り込みの外部に柱形などを表し、正面開口部に

句碑 与謝蕪村 句碑

「鮒ずしや 彦根の城に 雲かかる」 彦根城内の天秤櫓前の廊下橋の脇に与謝蕪村(1716年~1783年)の句碑があります。 鮒ずしは日本三大珍味の一つであり近江を代表する郷土料理です。

中山道 摺針峠

中山道は、鳥居本の宿場町から山道を登って江戸へ下っていきました。山道を曲がると急に視界が開け、この峠から眺める琵琶湖や湖東平野の眺めは最高だったといわれています。 摺針峠には、弘法大師にちなむ逸話が残

句碑 中山道 旧跡 床の山

旧中山道沿いの旭森公園のフェンスわきに石碑があります。 表には「旧中山道 旧跡 床の山」とありますが、向かって左側側面に句があります。 「ひるがおに 昼寝せうもの 床の山」 鳥籠山につきましては諸

中山道 松並木

彦根市には中山道が通り、江戸から数えて67次の63番目にあたる鳥居本宿と、次の高宮宿の2つの旧宿場町がありました。 高宮宿の南、葛籠町には松並木が残り、往時を偲べます。

中山道 高宮宿

中山道高宮宿は、中山道六十九次(東海道の草津、大津を含む)のうち江戸から六十四番目の宿場町になります。 天保14年(1843)の記録によれば、町の南北の長さ七町十六間(約800m)総戸数835軒、人口

中山道 鳥居本宿

中山道鳥居本宿は、中山道六十九次(東海道の草津、大津を含む)のうち江戸から数えて六十三番目の宿場町になります。徳川家康が慶長7年(1602)中山道を整備した時は一旦小野宿に宿継を命じています。その後彦

石碑 中山道・北国街道分岐道標

滋賀県は東日本と西日本の中間に位置しているため、古来より日本を代表する交通の要所でした。 近江から北陸へ向かう道は、琵琶湖の西岸を通る西近江路と東岸を通る東近江路があり、西近江路を北陸道と呼び、東近江

石碑 中山道・彦根道(大堀町)

彦根道は、高宮宿の北隣に位置する大堀村で中山道を西に折れ、七曲りを経て橋向町で朝鮮人街道に合流する道であり、彦根城外堀の高宮口御門に至ります。彦根から高宮へ抜ける道であることから、高宮道とも呼ばれまし

石碑 中山道・彦根道分岐道標

旧中山道鳥居本宿の南端近く、中山道が彦根道と交わる地点の南西隅に設けられている道標です。 幅・奥行きとも25.5cm、高さが124.5cmの角柱状で、上端はやや丸く納めています。石材は花崗岩。細長い4

石碑 中村不能斎屋敷跡

中村不能斎は彦根藩の儒学者で「彦根山由来記」の著者として有名です。

登録有形文化財 中村商家保存館

真宗信仰に生きた商人の家。当家は寛永年間(1628年〜47年)、彦根城が完成した頃とされる1622年とほぼ同じ時代に、現在の地に地割りを貰い本家から分かれて居を構え、酒醸を創業したのがその始まりです。

石碑 中村長平屋敷跡

井伊直弼のブレーン、長野主膳の門人に中村長平という町人がいました。 油屋という屋号の郷宿を業としていました。安政元年(1854年)、長平19才の時、長野主膳義言の歌学及び国学の家塾『桃廼舎』に入門しま

旧彦根藩足軽組屋敷 中藪組・瀧谷家住宅

彦根城下の足軽組屋敷は、城下町のもっとも外側に、城下を取り囲むように屋敷を連ねて彦根城と城下町を守備する役割を担っていました。彦根藩の足軽は、慶長期(〜1614年)に中藪組6組と善利組12組が設置され

石碑 久左の辻

銀座商店街の入口に石碑があります。 江戸時代に彦根藩の御用商人であった近藤久左衛門がこの地一帯を所有していたが、没落後当地に名称のみが残ったとされています。

二季咲桜

彦根城の内堀沿い、金亀児童公園内にあるこの桜は春(4月〜5月)と冬(11月〜1月)の2回開花する珍しい桜です。 昭和47年4月に水戸市より寄贈されました。