歌碑 井伊文子氏歌碑

「一身に責負ひまして、立ちましし、大老ありてこそ、開港はなりぬ」 井伊大老像前の歌碑は、明治100年にあたる1968年、彦根市と水戸市を親善都市として提携させた井伊直弼の曽孫で当時の彦根市長・井伊直

歌碑 井伊文子氏歌碑

「川波の 渦の底ひに 身を沈め 祈りは永久の 安らけきなむ」 昔、犬上川がよく決壊したために、人柱として庄屋の娘の「おまるさん」を生き埋めにしたという伝説「まるどの堤」があります。 彦根市甘呂町の集

石碑 井伊水軍水主町跡

松原村は 1937年(昭和12年)の市制施行に伴い彦根市に合併されるまでは、「犬上郡松原村」として独立した集落でした。 松原村には、1931年(昭和6年)当時、18の字があり、そのうち、水主町は井伊氏

井伊直弼大老像

金亀児童公園内に、大老井伊直弼公の銅像が建てられています。 井伊直弼は、11代藩主直中の14男として生まれました。 安政5年(1858年)4月、幕府の大老となった直弼は同年6月「日米修好通商条約」に調

歌碑 井伊直弼大老歌碑

「いろは松」のすぐ近くに井伊直弼の歌碑が建てられています。 安政7年(1860年)正月。直弼は正装姿の自画像を狩野永岳に描かせ、この自詠の和歌を書き添えて、井伊家菩提寺の清凉寺に納めたと伝えられていま

石碑 井伊直弼生誕地

開国の英傑・井伊直弼は1815年10月29日に父・直中の14男として楽々園で生まれました。 楽々園前に「井伊直弼生誕地」の石碑が立てられています。

石碑 井伊直憲公顕彰碑

井伊直憲は、大老・井伊直弼の嫡子です。萬延元年(1860年)、桜田門外の変で父・直弼が非業の死を遂げた後を受け、直憲は弱冠13歳で旧彦根藩最後の藩主となりました。 就任当初は従前どおり幕府譜代大名筆頭

井伊直政公像

井伊直政は戦国時代の武将・大名で上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主です。 徳川氏の家臣で江戸時代に譜代大名の筆頭として、江戸幕府を支えた井伊氏の手本となり、現在の群馬県高崎

市指定文化財 井伊神社

天保13年(1842)に彦根藩12代藩主井伊直亮が、井伊家の始祖井伊共保の750回忌にあたり、井伊谷(現静岡県)八幡宮から井伊大明神を分霊して神像を造り、龍潭寺の参道脇に祀ったのがはじめとされます。ま

石碑 伝馬町高札場跡

中央商店街の通りから少し入った、蓮華寺の角に、昔、高札場がありました。 高札場には、高さ4.2mの屋根組の下に、幕府から出された法令を記した駒形の大きな木札(高札)が掲げられていました。 伝馬町の馬持

市指定文化財 佐々木家住宅

佐々木家住宅は、芹川の南側、雨壺山の北側に位置しており、水と緑に恵まれた環境に建てられた住宅です。 もともと、日本生命の創設者で彦根市出身の弘世助三郎が別荘として建立したのが始まりです。 住宅は、彦根

佐和山城大手門跡

東山道(のちの中山道)側に開いていた佐和山城正面の大手口の跡です。 かつて、ここには大手門が築かれ、左右に土を盛って築いた土塁が伸びていました。大手門は彦根市内に現存する宗安寺の表門と伝えられており、

佐和山城跡

佐和山城の歴史は古く、鎌倉時代初期、近江源氏・佐々木定綱の六男時綱が佐和山の麓に館を構えたのが始まりと伝えられています。その後、佐々木氏は湖南の六角氏と湖北の京極氏に分かれて対立。佐和山城は両勢力の境

景観重要建造物 俳遊館

旧彦根信用組合本店として大正12年(1923年)に建築されました。 旧白壁通町通りに面する大正時代の近代化遺産を代表する建造物です。木造2階建て、寄棟造、カラーベスト葺。 外観は箱型に単純化した建造物

句碑 冶天 句碑

荒神山の麓にある千手寺山門前に、旧彦根藩の俳人・森川許六の弟子である冶天の句碑があります。 冶天は、旧彦根藩の俳人で、芭蕉十哲の一人としても名高い森川許六のあとを継いで彦根蕉門道統三世となった森野冶天

石碑 切通口御門跡

彦根城の外堀には7つの口が開いていました。 切通口御門は、藩主の井伊家が参勤交代の際に通る特別な門だったといわれいます。石垣の上には櫓があったと考えられ、本丸表口の太鼓門櫓(国重要文化財)とほぼ同様の

登録有形文化財 加藤家住宅(旧布惣)主屋

中山道高宮宿の中心部に建つ元麻布商で、街道に西面して建っています。 木造2階建て。桁行が16.6m、梁間が12.4m、切妻造瓦葺。 前面を店舗、背面を田の字型の床上部とし、正面は海老虹梁状の腕木や二階

勝鳥神社

勝鳥神社は天稚彦命を主神とし、事代主命・大山咋命をおまつりしています。 天稚彦命が出雲国から東方へ征伐に出陣されたとき、事代主命らとともに三津に立ち寄られました。美濃の国での戦で亡くなられた天稚彦命の

石碑 博習学校跡

明治政府の学制頒布により、明治7年(1874年)9月、葛籠町、西葛籠町、出町の子どもたちの学び舎として、小玉氏家屋において開校されました。 明治19年11月に簡易科葛籠町小学校と改称。明治22年11月

市指定文化財 吉川家住宅

吉川家住宅は、現在の城町1丁目、江戸時代には城下町の中堀と外堀の間にあった下魚屋町の町筋北側に位置しています。 下魚屋町はその町名のとおり、城下町建設当初は魚を取り扱う商業者が集住する同業者町でした。

名水百選 十王村の水

西今町の十字路の角、家並が続く中に小さな池があり、中央には六角形の地蔵堂がまつられています。この池に湧き出る水は、すでに元禄年間に「湖東三名水の一つ」として知られていました(他は五個荘清水ヶ鼻の水、醒

旧彦根藩足軽組屋敷 善利組

善利組足軽組屋敷、城下の南部、外濠(現在の昭和新道)と芹川とに挟まれた地区にあります。 彦根藩の足軽衆は、二十二俵三人扶持の禄高で、第四郭つまり町の一番外側に住居を置き、城下を守る役割を果たしていまし

旧彦根藩足軽組屋敷 善利組・北川家住宅

北川家住宅は、旧芹橋10丁目中ほど、表通りの東南側に位置しています。天保7年(1836年)に作成された「御城下惣絵図」では、間口が5間、奥行きが10間の敷地として描かれていますが、現在は、西隣の敷地を

旧彦根藩足軽組屋敷 善利組・吉居家住宅

彦根城下の足軽屋敷は、城下町を取り囲むように屋敷を連ねており、そのうち、最も規模の大きかったのが善利組です。幕末期には約700個戸の足軽屋敷がありましたが、現在はその1割以下にまで減少しています。 吉