登録有形文化財 スミス記念堂

昭和6年、日本聖公会彦根聖愛教会の牧師で彦根高商の英語教師でもあったパーシー・アルメリン・スミス氏が両親を記念し、大工宮川庄助氏と協力して城町の堀端に建設しました。外観は寺社建築を模しながら、梁や扉に

登録有形文化財 上野家住宅主屋

彦根の城下町は慶長9年(1604年)から始まった彦根城の築城に伴い建設されました。 上野家住宅の建つ旧本町一帯は、城下町建設の当初に着手されたと伝えられる町で、城下町のほぼ中心部に位置しています。当時

登録有形文化財 不破家住宅主屋

旧高宮宿で通りに西面する入母屋造妻入の二階建ての建築です。 平面は右手に幅広の土間を通し、左手に四室ずつ二列に並びます。良材を用いた譜請で座敷飾も上質です。塗り込みの外部に柱形などを表し、正面開口部に

登録有形文化財 中村商家保存館

真宗信仰に生きた商人の家。当家は寛永年間(1628年〜47年)、彦根城が完成した頃とされる1622年とほぼ同じ時代に、現在の地に地割りを貰い本家から分かれて居を構え、酒醸を創業したのがその始まりです。

旧彦根藩足軽組屋敷 中藪組・瀧谷家住宅

彦根城下の足軽組屋敷は、城下町のもっとも外側に、城下を取り囲むように屋敷を連ねて彦根城と城下町を守備する役割を担っていました。彦根藩の足軽は、慶長期(〜1614年)に中藪組6組と善利組12組が設置され

市指定文化財 佐々木家住宅

佐々木家住宅は、芹川の南側、雨壺山の北側に位置しており、水と緑に恵まれた環境に建てられた住宅です。 もともと、日本生命の創設者で彦根市出身の弘世助三郎が別荘として建立したのが始まりです。 住宅は、彦根

景観重要建造物 俳遊館

旧彦根信用組合本店として大正12年(1923年)に建築されました。 旧白壁通町通りに面する大正時代の近代化遺産を代表する建造物です。木造2階建て、寄棟造、カラーベスト葺。 外観は箱型に単純化した建造物

登録有形文化財 加藤家住宅(旧布惣)主屋

中山道高宮宿の中心部に建つ元麻布商で、街道に西面して建っています。 木造2階建て。桁行が16.6m、梁間が12.4m、切妻造瓦葺。 前面を店舗、背面を田の字型の床上部とし、正面は海老虹梁状の腕木や二階

市指定文化財 吉川家住宅

吉川家住宅は、現在の城町1丁目、江戸時代には城下町の中堀と外堀の間にあった下魚屋町の町筋北側に位置しています。 下魚屋町はその町名のとおり、城下町建設当初は魚を取り扱う商業者が集住する同業者町でした。

旧彦根藩足軽組屋敷 善利組・北川家住宅

北川家住宅は、旧芹橋10丁目中ほど、表通りの東南側に位置しています。天保7年(1836年)に作成された「御城下惣絵図」では、間口が5間、奥行きが10間の敷地として描かれていますが、現在は、西隣の敷地を

旧彦根藩足軽組屋敷 善利組・吉居家住宅

彦根城下の足軽屋敷は、城下町を取り囲むように屋敷を連ねており、そのうち、最も規模の大きかったのが善利組です。幕末期には約700個戸の足軽屋敷がありましたが、現在はその1割以下にまで減少しています。 吉

旧彦根藩足軽組屋敷 善利組・旧磯島家住宅

善利組・旧磯島家住宅は、主屋が間口が4間半、奥行きが6間の切妻造り・桟瓦葺の中二階形式で、表に向かって下屋をかけます。出入口は、門をくぐって左に前庭を見ながら「どま」より「げんかん」に入る平入です。

旧彦根藩足軽組屋敷 善利組・服部家住宅

善利組・服部家住宅は、旧芹橋12丁目のほぼ中央、旧大辻通りと旧中辻通りの間に位置しています。 主屋は間口が4間、奥行きが5間半の切妻造・桟瓦葺の中2階形式で、通りに面して妻面を見せ、表に向かって下屋を

旧彦根藩足軽組屋敷 善利組・林家住宅

善利組・林家住宅は、通りに面して格子戸と板戸からなる古様の木戸門を構え、周囲は板塀で囲まれています。 門より1間入った位置にある主屋は、間口5間、奥行き4.5間の切妻造りの桟瓦葺です。外壁および軒裏は

旧彦根藩足軽組屋敷 善利組・椿居家住宅

椿居家住宅は、旧芹橋14丁目に位置しています。「御城下惣絵図」には間口4間半、奥行き10間の敷地として記されていますが、この後に南隣の屋敷を与えられ、間口10間となって現在にいたっています。

市指定文化財 塔心礎(普光寺廃寺)

普光寺廃寺は、彦根市普光寺町の廣濱神社一帯に建立されていた白鳳寺院です。 白鳳寺院は7世紀後半に建てられた古代寺院で、市内には普光寺廃寺のほかに5か所でその痕跡が確認されています。周囲には「堂畑」「堂

県指定文化財 多賀大社 一の鳥居

多賀大社から西方約4キロメートルの表参道に面して位置する石造明神鳥居は、同社の旧境界域を示しています。 多賀大社の創立は、奈良時代に完成した「古事記」や平安時代に編纂された「延喜式」にも見られます。

旧彦根藩武家屋敷 大村家住宅

近年、彦根藩ゆかりの武家屋敷はほとんど残っていません。 とくに50石から300石の知行取(ちぎょうどり)の武家屋敷については大村家を除けば皆無に近い状況にあります。 当家は主屋とともに門や長屋も残って

景観重要建造物 奥野家住宅

旧魚屋町の東端に位置し、魚屋町通りを代表する最大級の町屋の建造物です。 江戸時代は郷宿を、明治時代から昭和30年ごろにかけて醤油の製造販売業を営んでいました。安政2年(1855年)の「普請見舞帳」から

妙源寺赤門

妙源寺赤門は石田三成公の佐和山城法華丸の山門を移築したと伝えられています。

登録有形文化財 宇水理髪館

宇水理髪館は河原3丁目の中央に位置し、通り北側にあります。 この建物は、切妻造・桟瓦葺・平入の構造ですが、表側は両端の柱がアーチを支えているような、洋風のモダンな外観となっています。また、アーチのキー

宗安寺赤門

宗安寺赤門は石田三成公の佐和山城大手門を移築したと伝えられている。

ヴォーリズ建築 寺村家住宅主屋

鳥居本本宿の本陣を代々務めた寺村家は、観音寺城六角氏の配下にありました。六角氏滅亡後、小野宿の本陣役を務めました。佐和山城落城後、小野宿は廃止され、慶長8年(1603年)鳥居本に宿場が移ると、鳥居本宿

市指定文化財 岩根家住宅

鳥居本町は、彦根市の北部に位置し、江戸時代には鳥居本宿として中山道の宿場町として栄えました。天保14年(1843年)の時点で家数は293軒、人口は1448人で35軒の旅籠があったとされています。南では