彦根市内の観光施設や観光スポットをご案内します。また、彦根周辺のおすすめスポットも。
金亀児童公園内に、大老井伊直弼公の銅像が建てられています。 井伊直弼は、11代藩主直中の14男として生まれました。 安政5年(1858年)4月、幕府の大老となった直弼は同年6月「日米修好通商条約」に調
井伊直政は戦国時代の武将・大名で上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主です。 徳川氏の家臣で江戸時代に譜代大名の筆頭として、江戸幕府を支えた井伊氏の手本となり、現在の群馬県高崎
龍潭寺の参道に石田三成の座像があります。 石田三成は、永禄3年(1560年)、長浜市石田町で生まれました。 観音寺での献茶が出世の糸口となり、豊臣秀吉に見込まれて、長浜城で錬成され、わずか26歳で五奉
木俣守勝は旧彦根藩の筆頭家老でした。もとは明智光秀の家臣でしたが、軍功が目覚ましく、徳川家康に見いだされ、彦根藩に仕えました。
彦根城の外堀には7つの口が開いていました。 本町口御門は、外堀より城内へ入る御門で、本町御門は最も重要な御門の一つでした。
彦根城の外堀には7つの口が開いていました。 油屋口御門は、現在の彦根商工会議所のあたりにありました。
彦根城の外堀には7つの口が開いていました。 切通口御門は、藩主の井伊家が参勤交代の際に通る特別な門だったといわれいます。石垣の上には櫓があったと考えられ、本丸表口の太鼓門櫓(国重要文化財)とほぼ同様の
彦根城の外堀には7つの口が開いていました。 高宮口御門は、中山道の高宮方面から彦根城下に入る「彦根道」に通じるとともに、朝鮮人街道にもつながる重要な口でした。また高宮口を入り、北の切通口まで城下町をま
井伊直弼の片腕として活躍した長野主膳。埋木舎時代には国学の師として、そして藩主・大老時代には優秀なブレーンとして直弼政権を支えました。その長野主膳の屋敷跡が彦根市立花町にあります。 現在は駐車場となっ
世情騒然たる幕末に、開国の英断を下した大老井伊直弼の波乱に富んだ一生を描いた「花の生涯」(作者:舟橋聖一=彦根名誉市民第一号)が発表され、人々に深い感銘を与え、映画・演劇として、またNHK大河ドラマを
城町郵便局の前に義言地蔵尊がひっそり佇んでいます。ここに祀られた長野主膳義言(ながのしゅぜんよしとき)は井伊直弼の腹心として幕末政治に活躍しましたが、直弼亡き後は、藩論も尊皇攘夷に転換する中、直弼の頭
彦根旧港湾のほとりに、石川千代松博士の銅像が建てられています。 石川千代松(1861〜1935年)は、琵琶湖に産する小鮎は鮎が湖内に封じ込められてできたた生態学上にいう陸封現象の所産であって、鮎と別種
佐和山の麓、近江鉄道本線が走るトンネルを彦根側に出た西側一帯に湖東焼の窯跡が残っています。 湖東焼は江戸時代後期、文政12年(1829年)、彦根の商人絹屋半兵衛が、当時先端技術の華であった磁器の焼成導
小野小町の父親とされる小野小町塚小野美実(好美)が都から出羽国(現在の秋田県、山形県)へ赴任する途中に小野宿(滋賀県彦根市)で宿泊した際、宿所にいた赤ん坊があまりにも可愛かったため、養女として迎えたと
琵琶湖周航の歌の5番に登場する彦根。 1~6番の歌碑のうち最後にできた歌碑で、平成17年に設立されました。 5番の歌詞を見ると、作詞者の小口太郎ら旧制第三高等学校(現・京大)ボート部のメンバーが周航中
旭森小学校の西側に「旭の森」と書かれた石碑があります。 大正6年(1917年)11月14日から、湖東地方いったいに陸軍の特別大演習というのがありました。 その時、大正天皇が彦根に来られ、その演習の様子
井伊直憲は、大老・井伊直弼の嫡子です。萬延元年(1860年)、桜田門外の変で父・直弼が非業の死を遂げた後を受け、直憲は弱冠13歳で旧彦根藩最後の藩主となりました。 就任当初は従前どおり幕府譜代大名筆頭
森川許六は、江戸時代前期から中期にかけての俳人、近江蕉門。蕉門十哲の一人。名は百仲。字は羽官。旧彦根藩の藩士で、森川与次右衛門の子として生まれました。絵師でもあった。通称は五助・金平で、五老井・菊阿仏
朝鮮人街道は、野洲の行畑(現在は小篠原)で中山道から分岐し、琵琶湖近くを通り、近江八幡や東近江を経て彦根で再び合流します。その名は江戸時代、外国使節団である朝鮮通信使が現:ソウルから江戸まで訪れる際に
開国の英傑・井伊直弼は1815年10月29日に父・直中の14男として楽々園で生まれました。 楽々園前に「井伊直弼生誕地」の石碑が立てられています。
彦根西中学校の近くに家老岡本黄石屋敷跡の碑が建っています。 岡本黄石は詩文に秀で、桜田門外の変で井伊直弼が倒れた後、長野主膳と宇津木六之丞を斬刑に処して藩政を主導し、藩を勤王に転じさせ、幼少の藩主・直
彦根東高校正門の前に長野伊豆屋敷跡の石碑があります。 長野伊豆は、彦根藩の家老として藩政発展に尽力しました。井伊直弼のブレーンとして有名な「長野主膳」とよく間違われますが、別人です。
滋賀県立盲学校は現在、 彦根市西今町にありますが、彦根での視覚障害者教育は、明治41年(1908年)、山本清一郎が彦根町に「訓盲院」を設けたことに始まります。 山本清一郎は、明治13年(1880年)、
遠城謙道は、旧彦根藩士で文政6年(1823年)に彦根で生まれました。 15歳で鉄砲隊に入りますが、藩医・堀田道策に医術を学んだのを始め、儒学や画を学ぶなどして、特に禅の修行を積んだことで武士の魂を磨き
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