登録有形文化財 不破家住宅主屋

旧高宮宿で通りに西面する入母屋造妻入の二階建ての建築です。 平面は右手に幅広の土間を通し、左手に四室ずつ二列に並びます。良材を用いた譜請で座敷飾も上質です。塗り込みの外部に柱形などを表し、正面開口部に

中山道 摺針峠

中山道は、鳥居本の宿場町から山道を登って江戸へ下っていきました。山道を曲がると急に視界が開け、この峠から眺める琵琶湖や湖東平野の眺めは最高だったといわれています。 摺針峠には、弘法大師にちなむ逸話が残

句碑 中山道 旧跡 床の山

旧中山道沿いの旭森公園のフェンスわきに石碑があります。 表には「旧中山道 旧跡 床の山」とありますが、向かって左側側面に句があります。 「ひるがおに 昼寝せうもの 床の山」 鳥籠山につきましては諸

中山道 松並木

彦根市には中山道が通り、江戸から数えて67次の63番目にあたる鳥居本宿と、次の高宮宿の2つの旧宿場町がありました。 高宮宿の南、葛籠町には松並木が残り、往時を偲べます。

中山道 高宮宿

中山道高宮宿は、中山道六十九次(東海道の草津、大津を含む)のうち江戸から六十四番目の宿場町になります。 天保14年(1843)の記録によれば、町の南北の長さ七町十六間(約800m)総戸数835軒、人口

中山道 鳥居本宿

中山道鳥居本宿は、中山道六十九次(東海道の草津、大津を含む)のうち江戸から数えて六十三番目の宿場町になります。徳川家康が慶長7年(1602)中山道を整備した時は一旦小野宿に宿継を命じています。その後彦

石碑 中山道・彦根道(大堀町)

彦根道は、高宮宿の北隣に位置する大堀村で中山道を西に折れ、七曲りを経て橋向町で朝鮮人街道に合流する道であり、彦根城外堀の高宮口御門に至ります。彦根から高宮へ抜ける道であることから、高宮道とも呼ばれまし

石碑 中山道・彦根道分岐道標

旧中山道鳥居本宿の南端近く、中山道が彦根道と交わる地点の南西隅に設けられている道標です。 幅・奥行きとも25.5cm、高さが124.5cmの角柱状で、上端はやや丸く納めています。石材は花崗岩。細長い4

登録有形文化財 加藤家住宅(旧布惣)主屋

中山道高宮宿の中心部に建つ元麻布商で、街道に西面して建っています。 木造2階建て。桁行が16.6m、梁間が12.4m、切妻造瓦葺。 前面を店舗、背面を田の字型の床上部とし、正面は海老虹梁状の腕木や二階

石碑 博習学校跡

明治政府の学制頒布により、明治7年(1874年)9月、葛籠町、西葛籠町、出町の子どもたちの学び舎として、小玉氏家屋において開校されました。 明治19年11月に簡易科葛籠町小学校と改称。明治22年11月

県指定文化財 多賀大社 一の鳥居

多賀大社から西方約4キロメートルの表参道に面して位置する石造明神鳥居は、同社の旧境界域を示しています。 多賀大社の創立は、奈良時代に完成した「古事記」や平安時代に編纂された「延喜式」にも見られます。

ヴォーリズ建築 寺村家住宅主屋

鳥居本本宿の本陣を代々務めた寺村家は、観音寺城六角氏の配下にありました。六角氏滅亡後、小野宿の本陣役を務めました。佐和山城落城後、小野宿は廃止され、慶長8年(1603年)鳥居本に宿場が移ると、鳥居本宿

石碑 小野小町塚

小野小町の父親とされる小野小町塚小野美実(好美)が都から出羽国(現在の秋田県、山形県)へ赴任する途中に小野宿(滋賀県彦根市)で宿泊した際、宿所にいた赤ん坊があまりにも可愛かったため、養女として迎えたと

句碑 尚白 句碑

「みちばたに 多賀の鳥居の 寒さかな」 尚白は江戸前期の俳人。大津の医者で松尾芭蕉の高弟です。 姓は江左。字(あざな)は三益。近江大津の人で医を業としました。はじめ貞門・談林の俳諧を学びましたが、貞

市指定文化財 岩根家住宅

鳥居本町は、彦根市の北部に位置し、江戸時代には鳥居本宿として中山道の宿場町として栄えました。天保14年(1843年)の時点で家数は293軒、人口は1448人で35軒の旅籠があったとされています。南では

登録有形文化財 成宮家住宅主屋

中山道鳥居本宿に西面して建つ町屋で、木造平屋一部二階建てで上部を漆喰塗り込みとして虫籠窓を穿ちます。内部は南寄りを通土間とし、床上部は手前よりイマなどを並べる。正面の出格子を駒寄せで囲い、土間入口にト

石碑 扇塚

芹川のすぐ近く、旭森公園の隣に神社があり、扇塚の石碑が残されています。 能楽喜多流(北流)は、江戸時代に彦根藩の手厚い保護を受け、この地で発展しました。9代目家元、健志斎古能(号湖遊)は隠居したのち、

石碑 旭の森 石碑

旭森小学校の西側に「旭の森」と書かれた石碑があります。 大正6年(1917年)11月14日から、湖東地方いったいに陸軍の特別大演習というのがありました。 その時、大正天皇が彦根に来られ、その演習の様子

石碑 明治天皇摺針峠御小休所

江戸時代、磨針峠に望湖堂という大きな茶屋が設けられていました。 峠を行き交う旅人は、ここで絶景を楽しみながら「するはり餅」に舌鼓を打ったと言われています。 参勤交代の大名や朝鮮通信使の使節、また幕末の

石碑 明治天皇行在聖跡

中山道沿いの高宮宿の中ほどに圓照寺の山門があり、その前に明治天皇行在聖跡の大きな碑があります。 慶長19年(1614年)、徳川家康は佐和山から永原寺へ向かう途中、ここ圓照寺で休息しました。現在「家康公

石碑 明治天皇鳥居本御小休所

鳥居本宿の有川家住宅の隣に石碑があります。 有川家住宅の右手の建物は明治11年の明治天皇北陸巡幸の時に増築され、10月の11日と21日に休憩所となりました。

景観重要建造物 有川家住宅主屋

有川家住宅は、旧中山道鳥居本宿の北端近く、街道が大きく鉤手に曲がるところに位置しています。 今日も名産「赤玉神教丸」を製造・販売する店舗です。赤玉神教丸は下痢・腹痛・食傷などに効果のある妙薬で、多賀大

句碑 松尾芭蕉 句碑

高宮宿の高宮神社随身門横の笠砂園内に松尾芭蕉の句碑があります。 「をりをりに 伊吹をみてや 冬籠」 この句は元禄4年、芭蕉が48歳、冬の作といわれ、芭蕉門弟で千川亭の兄弟の堂に泊まって詠んだ句。

句碑 松尾芭蕉 紙子塚

高宮宿のちょうど真ん中あたりに句碑があります。 「たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子」 貞享元年(1684年)の冬、縁あってこの家の主の許しで一泊した俳人の松尾芭蕉は、自分が横になっている姿の絵を描