中山道 鳥居本宿

中山道鳥居本宿は、中山道六十九次(東海道の草津、大津を含む)のうち江戸から数えて六十三番目の宿場町になります。徳川家康が慶長7年(1602)中山道を整備した時は一旦小野宿に宿継を命じています。その後彦

中山道 高宮宿

中山道高宮宿は、中山道六十九次(東海道の草津、大津を含む)のうち江戸から六十四番目の宿場町になります。 天保14年(1843)の記録によれば、町の南北の長さ七町十六間(約800m)総戸数835軒、人口

高宮城跡

高宮は古代犬上郡十郷の1つで、高宮郷の地です。 中世には荘園(高宮荘・高宮保)が成立し、東山道筋には市も立っていました。当時、高宮を領した高宮氏には2系統がありました。1系統は鎌倉時代末に当地へ地頭と

中山道 摺針峠

中山道は、鳥居本の宿場町から山道を登って江戸へ下っていきました。山道を曲がると急に視界が開け、この峠から眺める琵琶湖や湖東平野の眺めは最高だったといわれています。 摺針峠には、弘法大師にちなむ逸話が残

石碑 小野小町塚

小野小町の父親とされる小野小町塚小野美実(好美)が都から出羽国(現在の秋田県、山形県)へ赴任する途中に小野宿(滋賀県彦根市)で宿泊した際、宿所にいた赤ん坊があまりにも可愛かったため、養女として迎えたと

石碑 旭の森 石碑

旭森小学校の西側に「旭の森」と書かれた石碑があります。 大正6年(1917年)11月14日から、湖東地方いったいに陸軍の特別大演習というのがありました。 その時、大正天皇が彦根に来られ、その演習の様子

登録有形文化財 近江鉄道 鳥居本駅舎

明治29年(1896年)に彦根-貴生川間の区間で近江鉄道は開業しました。昭和6年(1931年)には彦根-米原間が開通し、同時に鳥居本駅舎も建設されました。 その後、建て替えらえましたが、山小屋風な腰折

景観重要建造物 有川家住宅主屋

有川家住宅は、旧中山道鳥居本宿の北端近く、街道が大きく鉤手に曲がるところに位置しています。 今日も名産「赤玉神教丸」を製造・販売する店舗です。赤玉神教丸は下痢・腹痛・食傷などに効果のある妙薬で、多賀大

ヴォーリズ建築 寺村家住宅主屋

鳥居本本宿の本陣を代々務めた寺村家は、観音寺城六角氏の配下にありました。六角氏滅亡後、小野宿の本陣役を務めました。佐和山城落城後、小野宿は廃止され、慶長8年(1603年)鳥居本に宿場が移ると、鳥居本宿

市指定文化財 岩根家住宅

鳥居本町は、彦根市の北部に位置し、江戸時代には鳥居本宿として中山道の宿場町として栄えました。天保14年(1843年)の時点で家数は293軒、人口は1448人で35軒の旅籠があったとされています。南では

石碑 中山道・彦根道分岐道標

旧中山道鳥居本宿の南端近く、中山道が彦根道と交わる地点の南西隅に設けられている道標です。 幅・奥行きとも25.5cm、高さが124.5cmの角柱状で、上端はやや丸く納めています。石材は花崗岩。細長い4

句碑 芭蕉 昼寝塚

中山道沿いにある原八幡神社の鳥居の脇に小さな石碑があります。 さらに、鳥居をくぐり、奥へ進むと句碑があります。 「ひるかおにひるねせうものとこのやま」 俳聖松尾芭蕉が中山道を往来する旅人が夏の暑い

句碑 祇川 白髪塚

中山道沿いにある原八幡神社の鳥居の脇に小さな石碑が残されています。 また、鳥居をくぐり奥へ進むと句碑があります。 「恥ながら残す白髪や秋の風」 聖徳太子と守屋との戦い等、幾多の戦の将士達をあわれみ

句碑 中山道 旧跡 床の山

旧中山道沿いの旭森公園のフェンスわきに石碑があります。 表には「旧中山道 旧跡 床の山」とありますが、向かって左側側面に句があります。 「ひるがおに 昼寝せうもの 床の山」 鳥籠山につきましては諸

石碑 扇塚

芹川のすぐ近く、旭森公園の隣に神社があり、扇塚の石碑が残されています。 能楽喜多流(北流)は、江戸時代に彦根藩の手厚い保護を受け、この地で発展しました。9代目家元、健志斎古能(号湖遊)は隠居したのち、

高宮宿 本陣跡

高宮宿は、中山道の64番目の宿場町で、現在は滋賀県彦根市高宮町になります。 江戸時代の参勤交代により、大名が泊まる施設として各宿場に設けたのが本陣です。 構造も武家風で、玄関・式台を構え、次座敷・次の

県指定文化財 多賀大社 一の鳥居

多賀大社から西方約4キロメートルの表参道に面して位置する石造明神鳥居は、同社の旧境界域を示しています。 多賀大社の創立は、奈良時代に完成した「古事記」や平安時代に編纂された「延喜式」にも見られます。

登録有形文化財 加藤家住宅(旧布惣)主屋

中山道高宮宿の中心部に建つ元麻布商で、街道に西面して建っています。 木造2階建て。桁行が16.6m、梁間が12.4m、切妻造瓦葺。 前面を店舗、背面を田の字型の床上部とし、正面は海老虹梁状の腕木や二階

句碑 尚白 句碑

「みちばたに 多賀の鳥居の 寒さかな」 尚白は江戸前期の俳人。大津の医者で松尾芭蕉の高弟です。 姓は江左。字(あざな)は三益。近江大津の人で医を業としました。はじめ貞門・談林の俳諧を学びましたが、貞

句碑 松尾芭蕉 紙子塚

高宮宿のちょうど真ん中あたりに句碑があります。 「たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子」 貞享元年(1684年)の冬、縁あってこの家の主の許しで一泊した俳人の松尾芭蕉は、自分が横になっている姿の絵を描

無賃橋

高宮宿の端を流れる犬上川に橋がかかっています。 天保のはじめ、彦根藩は増水時の「川止め」で川を渡れなくなるのを解消するため、この地の富豪の藤野四郎兵衛・小林吟右衛門・馬場利左衛門らに命じて費用を広く一

句碑 森川許六 句碑(五老井跡)

芭蕉高弟の森川許六の別荘跡です。 旧中山道から位左谷川を渡ると東海道新幹線高架があり正面は墓苑ですが、高架下を通り抜け左の墓地管理事務所が奥にあります。 句碑は、彦根藩士・谷鉄臣の筆によるもので、

登録有形文化財 不破家住宅主屋

旧高宮宿で通りに西面する入母屋造妻入の二階建ての建築です。 平面は右手に幅広の土間を通し、左手に四室ずつ二列に並びます。良材を用いた譜請で座敷飾も上質です。塗り込みの外部に柱形などを表し、正面開口部に

登録有形文化財 百々家住宅主屋

鳥居本町は江戸時代を通じて中山道の宿場町として栄えた町です。参勤交代制度の確立する寛永年間(1624年〜1644年)には宿駅の拡充整備が図られ、旧鳥居本村に新たに上矢倉村・西法寺村・百々村が加わって、