鳥居本町は、彦根市の北部に位置し、江戸時代には鳥居本宿として中山道の宿場町として栄えました。天保14年(1843年)の時点で家数は293軒、人口は1448人で35軒の旅籠があったとされています。南では中山道から彦根城下町へ切通道が分岐し、北では摺針峠へ向かう途中に北国街道の分岐があります。現在も、旧中山道沿いに家屋が連なり、宿場町としての面影を色濃く残しています。
岩根家は、この鳥居本宿の特産物であった合羽の製造を営み、明治期には鉄道網を使って米原から東京や三重方面に合羽を出荷していたとされています。昭和に入ると印刷業へと転身したが、現在も主屋玄関軒下に合羽屋の看板を掲げ、合羽製造を営んでいたことを伝えています。
市指定文化財 岩根家住宅
また、岩根家は旧中山道の沿道、鳥居本宿の本陣の向かい側、脇本陣の隣に位置し、敷地は間口が3間、奥行きが19間の長方形の敷地に、旧中山道から主屋、庭、その奥に土蔵が建っていました。主屋は旧中山道に接して立ち、梁間が7間、桁行が8間の切妻造り・桟瓦葺・平入りの形式となっています。
岩根家には嘉永3年(1850年)の「家相図」が残っており、建物調査の結果からいくつかの改修・改変はあるものの全体として創建当時の外観を維持しているとともに、室内の間取りも良好な状態で維持されていることが判明しました。このように岩根家住宅は、鳥居本宿場町における商家を物語る造りであるとともに、往時の合羽製造を営んでいたことを知ることができる貴重な歴史的建造物です。