高宮は古代犬上郡十郷の1つで、高宮郷の地です。
中世には荘園(高宮荘・高宮保)が成立し、東山道筋には市も立っていました。当時、高宮を領した高宮氏には2系統がありました。1系統は鎌倉時代末に当地へ地頭として入部した紀州櫟氏を祖とする高宮氏で、初代は宗忠と伝えます。もう1つの系統は、将軍足利義持から勲功として6万貫を与えられて当地に入ったとされる江南の六角氏頼の三男信高を祖とする高宮氏です。前者を北殿の高宮氏、後者を南殿の高宮氏とも呼びます。南殿の信高が当地に入った時、北殿の高宮氏は4代高義の時でしたが、しだいに信高に勢力に奪われて弱体化します。この高宮氏が代々居城としたのが高宮城です。高宮城は典型的な平地城館で、現在の高宮小学校や高宮幼稚園辺り一帯が城館跡に比定されています。