中山道高宮宿の中心部に建つ元麻布商で、街道に西面して建っています。
木造2階建て。桁行が16.6m、梁間が12.4m、切妻造瓦葺。
前面を店舗、背面を田の字型の床上部とし、正面は海老虹梁状の腕木や二階の幅広の格子窓など当地方の町屋の特徴をよく示しています。
高宮布は高宮の周辺で産出された麻布のことで室町時代から貴族や上流階級の贈答品として珍重されていました。高宮細美とも近江上布ともよばれ江戸時代になってからも高宮はますます麻布の集散地として栄えました。江戸時代になると、彦根藩が彦根の特産物として保護したので、愛知郡一帯の農家が副業としてさかんに麻布を織りました。街道筋に店をかまえてからは、高宮布を全国的に宣伝して、販路を拡大することに成功しました。
布惣では7つの蔵に一ぱい集荷された高宮布が全部出荷され、それが年に12回繰り返さなければ平年でないといわれたと聞きます。また、下請けの八軒の仕立て屋が大勢の人を使って毎日仕事を続けても注文に応じきれないほど繁盛したということです。現在5つの蔵が残っており当時の高宮嶋の看板も現存しています。問屋と小売業を兼ねた「布惣」は能登川の「あべ」、五個荘の「やまなか」と肩を並べ「県下三福の一つ」と言われるほど大きな問屋となりました。
明治の中頃から絹や綿におされて、高宮布はだんだんすたれましたが、「布惣」だけは商売を続け、明治末期までただ一軒、守り続けていました。しかし、明治44年ごろに時代の流れに押され、ついに繁栄の歴史を閉じました。