登録有形文化財 百々家住宅主屋

鳥居本町は江戸時代を通じて中山道の宿場町として栄えた町です。参勤交代制度の確立する寛永年間(1624年〜1644年)には宿駅の拡充整備が図られ、旧鳥居本村に新たに上矢倉村・西法寺村・百々村が加わって、細長い家並みの続く宿場町が形成されました。百々村は鳥居本宿のもっとも南側に位置し、戦国期には一時期佐和山城代でもあった材地の士豪・百々氏一族が集落を形成していたことで知られています。この百々家住宅は、天保2年(1831年)の鳥居本宿絵図に「太郎右衛門」と記された位置に相応します。街道筋の東側に屋敷を構えており、南へ3軒余りで彦根城下に向かう彦根道の分岐点にあたります。

建物の平面構成は2列6室通り庭型で「とおりにわ」を出入口とします。西の入口を入り3畳の「げんかん」から「とおりにわ」を沿って「だいどこ」「ねま」と続き、「げんかん」を上がると「おもてのま」から「なかのま」を経て「ざしき」に至ります。
主屋は街道に面して切妻造り平入りとなっており、その北に土塀が伸びます。この土塀は西に偏した入口の左を出格子と駒寄、右を白壁と簓子下見板貼りとしているものです。
中2階は、塗り込みを施した1対の格子窓と左右の袖壁を配しており、軒の上下に土戸(※防火のために外面が土塗りまたは漆喰塗りとしてある戸のこと)の敷居があり、右端には土戸を収納する戸袋が認められています。
土蔵については、敷地東側の中央に設けられた中庭を介して「蔵ざしき」(※土蔵造りの客座敷。最も格式高い客座敷をいう)のある土蔵があり、北東にもう1つの土蔵が建っています。
「ざしき」の北面につづく「仏間」には西面に前室を設け、北面には仏壇を中央に配し、左右に神棚・違い棚と床を左右に備えており、ここに収まる仏壇は間口が大きく、上部は天蓋上に造られている立派なものです。
建物は全体に材が吟味された良質のものであり、幕末から明治初頭頃に建立されたと考えられるが、その後、天蓋を設けた仏壇と床・棚をしつらえ、長押や筬欄間をめぐらすなど「ぶつま」と「ざしき」を中心に大規模に手を加えた形跡が認められます。昭和初頭頃に、大改築された記録が残っており、その痕跡と考えられます。改築された時期は新しいが、町屋の格式をさらに高めるための所為であり、全体として街道筋の町屋の伝統的な構えが今日まで良好に継承された優れた建造物と言えるものです。

登録有形文化財 百々家住宅主屋

所在地滋賀県彦根市鳥居本町