登録有形文化財 旧秋口家洋館

秋口家住宅洋館の屋根裏には棟札が残されており、大正5年(1916)5月10日、巧匠渡辺領助、施主を秋口久次郎として上棟されたことがわかります。施主は神戸の異人館の建物を理想としてこの洋館を建てられたと

レトロな建築 旧本町郵便局舎

本町郵便局は明治14年に開局した、彦根市で最初の郵便局です。 現在の局舎の北隣に大正期に建てられた2代目の建物が残っています。外観は大正期に流行したセッションの造形が巧みに用いられており、タイル張りの

レトロな建築 滋賀銀行 彦根支店

銀座街の中央に滋賀銀行彦根支店があります。 その前身は、明治12年に開業した第百三十三国立銀行で、彦根製糸場や近江鉄道の発展を資金面で支えてきました。この建物は大正14年に竣工、耐震耐火に優れたコンク

登録有形文化財 上野家住宅主屋

彦根の城下町は慶長9年(1604年)から始まった彦根城の築城に伴い建設されました。 上野家住宅の建つ旧本町一帯は、城下町建設の当初に着手されたと伝えられる町で、城下町のほぼ中心部に位置しています。当時

登録有形文化財 近江鉄道 鳥居本駅舎

明治29年(1896年)に彦根-貴生川間の区間で近江鉄道は開業しました。昭和6年(1931年)には彦根-米原間が開通し、同時に鳥居本駅舎も建設されました。 その後、建て替えらえましたが、山小屋風な腰折

景観重要建造物 有川家住宅主屋

有川家住宅は、旧中山道鳥居本宿の北端近く、街道が大きく鉤手に曲がるところに位置しています。 今日も名産「赤玉神教丸」を製造・販売する店舗です。赤玉神教丸は下痢・腹痛・食傷などに効果のある妙薬で、多賀大

ヴォーリズ建築 寺村家住宅主屋

鳥居本本宿の本陣を代々務めた寺村家は、観音寺城六角氏の配下にありました。六角氏滅亡後、小野宿の本陣役を務めました。佐和山城落城後、小野宿は廃止され、慶長8年(1603年)鳥居本に宿場が移ると、鳥居本宿

市指定文化財 岩根家住宅

鳥居本町は、彦根市の北部に位置し、江戸時代には鳥居本宿として中山道の宿場町として栄えました。天保14年(1843年)の時点で家数は293軒、人口は1448人で35軒の旅籠があったとされています。南では

宗安寺赤門

宗安寺赤門は石田三成公の佐和山城大手門を移築したと伝えられている。

県指定文化財 多賀大社 一の鳥居

多賀大社から西方約4キロメートルの表参道に面して位置する石造明神鳥居は、同社の旧境界域を示しています。 多賀大社の創立は、奈良時代に完成した「古事記」や平安時代に編纂された「延喜式」にも見られます。

登録有形文化財 加藤家住宅(旧布惣)主屋

中山道高宮宿の中心部に建つ元麻布商で、街道に西面して建っています。 木造2階建て。桁行が16.6m、梁間が12.4m、切妻造瓦葺。 前面を店舗、背面を田の字型の床上部とし、正面は海老虹梁状の腕木や二階

市指定文化財 塔心礎(普光寺廃寺)

普光寺廃寺は、彦根市普光寺町の廣濱神社一帯に建立されていた白鳳寺院です。 白鳳寺院は7世紀後半に建てられた古代寺院で、市内には普光寺廃寺のほかに5か所でその痕跡が確認されています。周囲には「堂畑」「堂

市指定文化財 彦留神社 石造宝塔

彦留神社については、延歴年間(782年~806年)の創祀で、近江守護佐々木京極氏の崇敬が厚く、近郷の在地領主も武人として崇めたと伝わっており、江戸時代には亥大明神・彦留亥神と称し、明治以降に彦留神社と

登録有形文化財 若林家住宅洋室棟

主屋北東隅に接続する南北棟の二階建て。赤色瓦の半切妻屋根に煙突を立て、外壁を人造石洗出しとしています。内部は上下階とも洋室一室で、一階応接室では暖炉や腰掛付き出窓などにチューダー様式を取り入れ、天井の

登録有形文化財 不破家住宅主屋

旧高宮宿で通りに西面する入母屋造妻入の二階建ての建築です。 平面は右手に幅広の土間を通し、左手に四室ずつ二列に並びます。良材を用いた譜請で座敷飾も上質です。塗り込みの外部に柱形などを表し、正面開口部に

登録有形文化財 百々家住宅主屋

鳥居本町は江戸時代を通じて中山道の宿場町として栄えた町です。参勤交代制度の確立する寛永年間(1624年〜1644年)には宿駅の拡充整備が図られ、旧鳥居本村に新たに上矢倉村・西法寺村・百々村が加わって、

登録有形文化財 旧佐藤家住宅主屋

芹川沿いに所在する二階建て町屋。一階正面に鉄格子の出窓を設け、出桁造りの二階は塗り込めて瓦屋根の袖うだつを帳出し、重厚な正面構えを見せます。内部は上下階の全面に洋室を配する他は座敷等となっています。伝

登録有形文化財 旧石橋家住宅西主屋

中主屋の西側に接続する建ちの低い外観の二階建てで、軒裏まで中塗りで塗り込め、中央に虫籠窓を穿ちます。屋根は切妻造浅瓦葺で、西端に袖うだつが設けられています。内部は中央に通土間をのばし、左右に居室が一列

登録有形文化財 旧石橋家住宅東主屋

通りに南面し、前面に二階建ての表屋を構え、玄関と中庭を介して住居部が建てられています。表屋は前面に出格子をたてて東端を土間とし、住居部は東寄りに土間を通し、居室は整型四間取で後方に風呂等が張り出してい

登録有形文化財 旧石橋家住宅中主屋

東主屋と西主屋の間に棟をそろえて建つ、木造平屋一部二階建て、切妻造浅瓦葺の風格ある構えを持つ町屋です。二階を漆喰塗り込みとし、袖うだつをあげています。西寄りに幅広の土間を通し、背後に広い台所が設けられ

登録有形文化財 森家住宅主屋

通りに南面する二階建ての町屋。 正面を黒漆喰で塗り込めて虫籠窓を穿ち、両袖に漆喰で縁取りした袖うだつを設け、軒先やけらばも漆喰仕上げとしています。内部は東に土間玄関を配し、居室部は手前からミセノマなど

旧彦根藩足軽組屋敷 辻番所

辻番所は間口が1間、奥行きが2間の切妻造りで、朝瓦葺の4畳余りの小さな小屋です。 足軽屋敷の辻(四つ角)に設けられ、見張り窓がついた貴重な施設として「辻番所」と呼ばれています。 辻番所は城下町への侵入

登録有形文化財 旧志賀谷住宅主屋(本町宿)

旧職人町に位置する町屋です。 木造造二階建て、切妻造浅瓦葺平入で、正面二階には袖壁が設けられています。当初は通り土間に床上部二列六室であったと考えられ、小屋は中心部を和小屋として、その前方後方に登梁を

市指定文化財 佐々木家住宅

佐々木家住宅は、芹川の南側、雨壺山の北側に位置しており、水と緑に恵まれた環境に建てられた住宅です。 もともと、日本生命の創設者で彦根市出身の弘世助三郎が別荘として建立したのが始まりです。 住宅は、彦根