旧彦根藩足軽組屋敷 善利組・旧磯島家住宅

善利組・旧磯島家住宅は、主屋が間口が4間半、奥行きが6間の切妻造り・桟瓦葺の中二階形式で、表に向かって下屋をかけます。出入口は、門をくぐって左に前庭を見ながら「どま」より「げんかん」に入る平入です。

旧彦根藩足軽組屋敷 善利組・服部家住宅

善利組・服部家住宅は、旧芹橋12丁目のほぼ中央、旧大辻通りと旧中辻通りの間に位置しています。 主屋は間口が4間、奥行きが5間半の切妻造・桟瓦葺の中2階形式で、通りに面して妻面を見せ、表に向かって下屋を

旧彦根藩足軽組屋敷 善利組・林家住宅

善利組・林家住宅は、通りに面して格子戸と板戸からなる古様の木戸門を構え、周囲は板塀で囲まれています。 門より1間入った位置にある主屋は、間口5間、奥行き4.5間の切妻造りの桟瓦葺です。外壁および軒裏は

旧彦根藩足軽組屋敷 善利組・椿居家住宅

椿居家住宅は、旧芹橋14丁目に位置しています。「御城下惣絵図」には間口4間半、奥行き10間の敷地として記されていますが、この後に南隣の屋敷を与えられ、間口10間となって現在にいたっています。

四番町スクエア

彦根の台所として賑わってきた市場街商店街が、新しく生まれ変わりました。ガス燈が映える街並みは古き良き大正ロマンを再現。心を落ち着ける効果のある環境音が流れ、ここでしか味わえない出会いのある町です。

石碑 回転橋跡

大正9年から昭和2年にかけて彦根港湾が改修整備されました。その港は、ここから東側約700間(1,300m)の城堀を利用した運河となり、松原橋は船の就航に合わせ、当時としても珍しい回転橋となりました。橋

市指定文化財 塔心礎(普光寺廃寺)

普光寺廃寺は、彦根市普光寺町の廣濱神社一帯に建立されていた白鳳寺院です。 白鳳寺院は7世紀後半に建てられた古代寺院で、市内には普光寺廃寺のほかに5か所でその痕跡が確認されています。周囲には「堂畑」「堂

多景島

琵琶湖に浮かぶ島で、彦根市街より沖合約6.5キロメートルに浮かぶ周囲600メートルの島です。 この島は観る方向によって様々な島影を見せることから「多景島」と呼ばれています。弥生時代から、島そのものがご

県指定文化財 多賀大社 一の鳥居

多賀大社から西方約4キロメートルの表参道に面して位置する石造明神鳥居は、同社の旧境界域を示しています。 多賀大社の創立は、奈良時代に完成した「古事記」や平安時代に編纂された「延喜式」にも見られます。

夢京橋キャッスルロード

彦根城のお堀にかかる京橋からすぐ。白壁と黒格子の町屋風に統一された街並みは江戸時代の城下町をイメージしています。和菓子屋、洋菓子屋、地元ならではの商品を扱うお店が軒を並べ、古き時代と新しい時代の薫り漂

石碑 大久保忠隣幽居跡

大久保忠隣は、松平家の重臣・大久保忠世の長男として三河(愛知県岡崎市)にて1553年に生まれました。 1563年から近習として仕えるようになり、1568年の遠江・堀川城攻めにて初陣を飾り、敵将の首をと

石碑 大坂の陣供養碑

大坂の陣、冬の陣は慶長19年(1614年)、夏の陣は慶長20年(1615年)。 彦根の大洞弁財天近く、JRの線路沿いに大坂の陣で亡くなった人々の供養碑があります。大坂の陣から84年後、元禄12年(16

旧彦根藩武家屋敷 大村家住宅

近年、彦根藩ゆかりの武家屋敷はほとんど残っていません。 とくに50石から300石の知行取(ちぎょうどり)の武家屋敷については大村家を除けば皆無に近い状況にあります。 当家は主屋とともに門や長屋も残って

石碑 大東義徹生誕地跡

近江鉄道の敷設に深く関与し、近江鉄道の初代社長に就任した大東義徹は、彦根藩士で足軽の小西貞徹の次男として生まれました。 幼名を寛蔵。戊辰戦争に従軍し武功を立てます。戸籍編成の際、姓を小西から大東に改め

石碑 天九郎俊長淬刃之水の碑

彦根市甘呂町に「天九郎俊長淬刃之水(てんくろうとしながさいとうのみず)」という石碑があります。「淬」の漢字は「淬(にら)ぐ」とも読み「赤熱した鉄を水に入れて鍛える、焼きを入れる」という意味です。井戸に

景観重要建造物 奥野家住宅

旧魚屋町の東端に位置し、魚屋町通りを代表する最大級の町屋の建造物です。 江戸時代は郷宿を、明治時代から昭和30年ごろにかけて醤油の製造販売業を営んでいました。安政2年(1855年)の「普請見舞帳」から

妙源寺赤門

妙源寺赤門は石田三成公の佐和山城法華丸の山門を移築したと伝えられています。

宇尾城跡

宇尾町はかつて「大宇」とも呼ばれ、河瀬一族である大宇大和守高秀と秀則の2代が居城したところです。高秀は、一時期、隣村の甘呂に居住していたようですが、後に当地に城館を移して、大宇と名乗りを改めたといいま

登録有形文化財 宇水理髪館

宇水理髪館は河原3丁目の中央に位置し、通り北側にあります。 この建物は、切妻造・桟瓦葺・平入の構造ですが、表側は両端の柱がアーチを支えているような、洋風のモダンな外観となっています。また、アーチのキー

宗安寺赤門

宗安寺赤門は石田三成公の佐和山城大手門を移築したと伝えられている。

ヴォーリズ建築 寺村家住宅主屋

鳥居本本宿の本陣を代々務めた寺村家は、観音寺城六角氏の配下にありました。六角氏滅亡後、小野宿の本陣役を務めました。佐和山城落城後、小野宿は廃止され、慶長8年(1603年)鳥居本に宿場が移ると、鳥居本宿

石碑 小野小町塚

小野小町の父親とされる小野小町塚小野美実(好美)が都から出羽国(現在の秋田県、山形県)へ赴任する途中に小野宿(滋賀県彦根市)で宿泊した際、宿所にいた赤ん坊があまりにも可愛かったため、養女として迎えたと

句碑 尚白 句碑

「みちばたに 多賀の鳥居の 寒さかな」 尚白は江戸前期の俳人。大津の医者で松尾芭蕉の高弟です。 姓は江左。字(あざな)は三益。近江大津の人で医を業としました。はじめ貞門・談林の俳諧を学びましたが、貞

市指定文化財 山崎山城跡

山崎山城跡が築かれた山崎山は、琵琶湖岸近くにそびえる荒神山の南東にある小さな独立丘です。 山崎山城跡は、この小丘の山頂の東半分に築かれています。平地と比高は約50メートル。眼下には、織田信長が岐阜から