彦根市内の観光施設や観光スポットをご案内します。また、彦根周辺のおすすめスポットも。
遠城謙道は、旧彦根藩士で文政6年(1823年)に彦根で生まれました。 15歳で鉄砲隊に入りますが、藩医・堀田道策に医術を学んだのを始め、儒学や画を学ぶなどして、特に禅の修行を積んだことで武士の魂を磨き
「彦根」の地名は、むかし天照大神の御子に天津彦根命(あまつひこねのみこと) 、活津彦根命(いきつひこねのみこと)の二神がおられ、このうち活津彦根命が活津彦根明神として彦根山に祭られたことに由来している
明治29年(1896年)に彦根-貴生川間の区間で近江鉄道は開業しました。昭和6年(1931年)には彦根-米原間が開通し、同時に鳥居本駅舎も建設されました。 その後、建て替えらえましたが、山小屋風な腰折
有川家住宅は、旧中山道鳥居本宿の北端近く、街道が大きく鉤手に曲がるところに位置しています。 今日も名産「赤玉神教丸」を製造・販売する店舗です。赤玉神教丸は下痢・腹痛・食傷などに効果のある妙薬で、多賀大
鳥居本本宿の本陣を代々務めた寺村家は、観音寺城六角氏の配下にありました。六角氏滅亡後、小野宿の本陣役を務めました。佐和山城落城後、小野宿は廃止され、慶長8年(1603年)鳥居本に宿場が移ると、鳥居本宿
鳥居本町は、彦根市の北部に位置し、江戸時代には鳥居本宿として中山道の宿場町として栄えました。天保14年(1843年)の時点で家数は293軒、人口は1448人で35軒の旅籠があったとされています。南では
旧中山道鳥居本宿の南端近く、中山道が彦根道と交わる地点の南西隅に設けられている道標です。 幅・奥行きとも25.5cm、高さが124.5cmの角柱状で、上端はやや丸く納めています。石材は花崗岩。細長い4
中山道沿いにある原八幡神社の鳥居の脇に小さな石碑があります。 さらに、鳥居をくぐり、奥へ進むと句碑があります。 「ひるかおにひるねせうものとこのやま」 俳聖松尾芭蕉が中山道を往来する旅人が夏の暑い
中山道沿いにある原八幡神社の鳥居の脇に小さな石碑が残されています。 また、鳥居をくぐり奥へ進むと句碑があります。 「恥ながら残す白髪や秋の風」 聖徳太子と守屋との戦い等、幾多の戦の将士達をあわれみ
旧中山道沿いの旭森公園のフェンスわきに石碑があります。 表には「旧中山道 旧跡 床の山」とありますが、向かって左側側面に句があります。 「ひるがおに 昼寝せうもの 床の山」 鳥籠山につきましては諸
旧中山道の芹川にかかる橋、大堀山の麓に歌碑があります。 大堀橋から、大堀山の麓を見ると、石碑が2つあります。 一つは「鳥籠山(とこのやま)(大堀山) 不知哉川(いさやがわ)(芹川)」と刻んだ石碑。 も
JR彦根駅の東口を出て右側に少し歩くと歌碑があります。 歌碑には「淡海路(あふみぢ)の 鳥籠(とこ)の山なる 不知哉(いさや)川 日(け)のころごろは 恋(こ)ひつつもあらむ」とあります。 第37代の
大正9年から昭和2年にかけて彦根港湾が改修整備されました。その港は、ここから東側約700間(1,300m)の城堀を利用した運河となり、松原橋は船の就航に合わせ、当時としても珍しい回転橋となりました。橋
芹川のすぐ近く、旭森公園の隣に神社があり、扇塚の石碑が残されています。 能楽喜多流(北流)は、江戸時代に彦根藩の手厚い保護を受け、この地で発展しました。9代目家元、健志斎古能(号湖遊)は隠居したのち、
松原村は 1937年(昭和12年)の市制施行に伴い彦根市に合併されるまでは、「犬上郡松原村」として独立した集落でした。 松原村には、1931年(昭和6年)当時、18の字があり、そのうち、水主町は井伊氏
「いろは松」のすぐ近くに井伊直弼の歌碑が建てられています。 安政7年(1860年)正月。直弼は正装姿の自画像を狩野永岳に描かせ、この自詠の和歌を書き添えて、井伊家菩提寺の清凉寺に納めたと伝えられていま
佐和山の麓に、石田三成屋敷跡の石碑があります。 天正18年(1590年)に佐和山城の主となった三成の時代には本丸以外にも二の丸、三の丸などができており、山の下に作られた二重の堀の内側には侍屋敷や足軽屋
巡礼街道は彦根だけではなく大津市の寺辺から岩間山へ行く道から千町から滋賀大学教育学部の裏門の前を通って寺辺町に抜け石山寺門前に出る道、近江八幡市の長命寺、 安土の観音正寺への道程等、現在の県道大津能登
中央商店街の通りから少し入った、蓮華寺の角に、昔、高札場がありました。 高札場には、高さ4.2mの屋根組の下に、幕府から出された法令を記した駒形の大きな木札(高札)が掲げられていました。 伝馬町の馬持
井伊直弼のブレーン、長野主膳の門人に中村長平という町人がいました。 油屋という屋号の郷宿を業としていました。安政元年(1854年)、長平19才の時、長野主膳義言の歌学及び国学の家塾『桃廼舎』に入門しま
森川許六は、明暦2年(1656年)8月14日の生まれ。本名を森川百仲といい、禄高300石。通称を五助、五老井・菊阿佛・無々居士を号した彦根藩士で、代々、武術指南役を務める武術の達人でした。 屋敷は、彦
谷鉄臣は、文政5年(1822)に、京町3丁目で渋谷家の長男として生まれました。名は騮太郎といいました。幕末・明治の彦根藩士・医者。字は百錬、号は大湖・如意山人。 17歳のときから、彦根へ帰ってくる27
通称「百間橋」は、当時佐和山城の西に広がっていた松原内湖にクランク状に架けられた通路のうち、松原側(琵琶湖側)に設けられた木橋のことで、古絵図などの記録から幅三間(約5.4m)、総延長三百間(約540
宗安寺赤門は石田三成公の佐和山城大手門を移築したと伝えられている。
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