彦根市内の観光施設や観光スポットをご案内します。また、彦根周辺のおすすめスポットも。
森川許六は、江戸時代前期から中期にかけての俳人、近江蕉門。蕉門十哲の一人。名は百仲。字は羽官。旧彦根藩の藩士で、森川与次右衛門の子として生まれました。絵師でもあった。通称は五助・金平で、五老井・菊阿仏
彦根市は市民に募集し「彦根八景」を平成7年5月1日に選定しました。市民が愛し、親しんでいる景観、21世紀に向けて後世に残しておきたい景観、観光客の皆さんにおすすめする観光地という基準で決められたもので
旧日夏村役場と産業組合合同庁舎として、昭和10年(1935年)に建設された建物で、昭和25年に日夏村が市に編入合併された後、平成13年までは建物の一角にJA東びわこ日夏支店が入っていました。閉鎖以降は
滋賀大学の近くの彦根城の内堀と中堀に挟まれたところにヴォーリズ建築があります。 元々は、旧彦根高等商業学校(現・滋賀大学経済学部)の外国人教師の住宅として、ヴォーリズの設計で大正13年(1924年)に
陵水会館は、滋賀大学経済学部の構内にあるヴォーリズ建築です。昭和13年彦根高等商業学校の同窓会館として、高商の学生が「集団勤行」で埋め立てた壕の上に建設されました。左右対称の木造2階建で中央にベランダ
朝鮮人街道は、野洲の行畑(現在は小篠原)で中山道から分岐し、琵琶湖近くを通り、近江八幡や東近江を経て彦根で再び合流します。その名は江戸時代、外国使節団である朝鮮通信使が現:ソウルから江戸まで訪れる際に
江戸時代には、この付近は「下魚屋町」といい、町名が示すとおり魚屋が立ち並んでいました。この旧広田家は「納屋七」という屋号でよばれ、魚問屋を営んでいました。 主屋の規模は桁行・梁間とも15.5m。桁行側
旧魚屋町の東端に位置し、魚屋町通りを代表する最大級の町屋の建造物です。 江戸時代は郷宿を、明治時代から昭和30年ごろにかけて醤油の製造販売業を営んでいました。安政2年(1855年)の「普請見舞帳」から
彦根道にある「七曲がり」の屈曲部分に面する江戸時代後期を代表する町屋の建造物で、城下町の歴史的景観を先導する建物です。 主屋は桁行が9.2m、梁間が14m、切妻平入り、桟瓦葺2階建て。 入り口には潜り
旧彦根信用組合本店として大正12年(1923年)に建築されました。 旧白壁通町通りに面する大正時代の近代化遺産を代表する建造物です。木造2階建て、寄棟造、カラーベスト葺。 外観は箱型に単純化した建造物
この建物は、旧彦根高等商業学校講堂として建てられました。 彦根高等商業学校は、大正12年に開校し、講堂は翌年竣工しました。木造2階建て、講堂と大教室とからなり、内部には重厚な中央ステージと2階三方にギ
明治26年彦根に設置された県立彦根測候所は、昭和7年鉄筋コンクリート2階建て・塔屋4階建ての現在の建物に改築され、同15年国立となり、32年に地方気象台に昇格しました。1階から塔屋まで螺旋状に上る階段
高崎家住宅の建築年代は江戸後期と考えられます。 この建物は、江戸時代には表具屋を営んでおられたことから、江戸後期の文書も伝えられ、高崎家文書として彦根城博物館に保管されています。 昭和9年(1934)
宇水理髪館は河原3丁目の中央に位置し、通り北側にあります。 この建物は、切妻造・桟瓦葺・平入の構造ですが、表側は両端の柱がアーチを支えているような、洋風のモダンな外観となっています。また、アーチのキー
滋賀中央信用金庫銀座支店の建物は、「久佐の辻」と呼ばれる交差点の東北角に建つ洋風建築です。 建物はもともと明治銀行彦根支店として、大正7年(1919)に建てられました。棟札によれば「工事請負人」は杉江
秋口家住宅洋館の屋根裏には棟札が残されており、大正5年(1916)5月10日、巧匠渡辺領助、施主を秋口久次郎として上棟されたことがわかります。施主は神戸の異人館の建物を理想としてこの洋館を建てられたと
本町郵便局は明治14年に開局した、彦根市で最初の郵便局です。 現在の局舎の北隣に大正期に建てられた2代目の建物が残っています。外観は大正期に流行したセッションの造形が巧みに用いられており、タイル張りの
銀座街の中央に滋賀銀行彦根支店があります。 その前身は、明治12年に開業した第百三十三国立銀行で、彦根製糸場や近江鉄道の発展を資金面で支えてきました。この建物は大正14年に竣工、耐震耐火に優れたコンク
花しょうぶ通り商店街に4軒目の街の駅「治部少丸」があります。 治部少丸は石田三成の官位・治部少輔から命名。戦国武将のテーマ館として旧とも栄履物店を改装する形で整備されました。「戦国・三成」というコンセ
開国の英傑・井伊直弼は1815年10月29日に父・直中の14男として楽々園で生まれました。 楽々園前に「井伊直弼生誕地」の石碑が立てられています。
彦根の城下町は慶長9年(1604年)から始まった彦根城の築城に伴い建設されました。 上野家住宅の建つ旧本町一帯は、城下町建設の当初に着手されたと伝えられる町で、城下町のほぼ中心部に位置しています。当時
彦根西中学校の近くに家老岡本黄石屋敷跡の碑が建っています。 岡本黄石は詩文に秀で、桜田門外の変で井伊直弼が倒れた後、長野主膳と宇津木六之丞を斬刑に処して藩政を主導し、藩を勤王に転じさせ、幼少の藩主・直
彦根東高校正門の前に長野伊豆屋敷跡の石碑があります。 長野伊豆は、彦根藩の家老として藩政発展に尽力しました。井伊直弼のブレーンとして有名な「長野主膳」とよく間違われますが、別人です。
滋賀県立盲学校は現在、 彦根市西今町にありますが、彦根での視覚障害者教育は、明治41年(1908年)、山本清一郎が彦根町に「訓盲院」を設けたことに始まります。 山本清一郎は、明治13年(1880年)、
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