石碑 中村不能斎屋敷跡

中村不能斎は彦根藩の儒学者で「彦根山由来記」の著者として有名です。国史・国学を研究し、藩に残されている多くの資料の中から値打ちのあるものを見分ける力があり、筆写した書物が身長の3倍以上にもなったと言わ

石碑 大東義徹生誕地跡

近江鉄道の敷設に深く関与し、近江鉄道の初代社長に就任した大東義徹は、彦根藩士で足軽の小西貞徹の次男として天保12年(1841)に生まれました。 幼名を寛蔵。戊辰戦争に従軍し武功を立てます。戸籍編成の際

高宮宿 本陣跡

高宮宿は、中山道の64番目の宿場町で、現在は滋賀県彦根市高宮町になります。 江戸時代の参勤交代により、大名が泊まる施設として各宿場に設けたのが本陣です。 構造も武家風で、玄関・式台を構え、次座敷・次の

石碑 大久保忠隣幽居跡

大久保忠隣は、松平家の重臣・大久保忠世の長男として三河(愛知県岡崎市)にて1553年に生まれました。 1563年から近習として仕えるようになり、1568年の遠江・堀川城攻めにて初陣を飾り、敵将の首をと

県指定文化財 多賀大社 一の鳥居

多賀大社から西方約4キロメートルの表参道に面して位置する石造明神鳥居は、同社の旧境界域を示しています。 多賀大社の創立は、奈良時代に完成した「古事記」や平安時代に編纂された「延喜式」にも見られます。

登録有形文化財 加藤家住宅(旧布惣)主屋

中山道高宮宿の中心部に建つ元麻布商で、街道に西面して建っています。 木造2階建て。桁行が16.6m、梁間が12.4m、切妻造瓦葺。 前面を店舗、背面を田の字型の床上部とし、正面は海老虹梁状の腕木や二階

句碑 尚白 句碑

「みちばたに 多賀の鳥居の 寒さかな」 尚白は江戸前期の俳人。大津の医者で松尾芭蕉の高弟です。 姓は江左。字(あざな)は三益。近江大津の人で医を業としました。はじめ貞門・談林の俳諧を学びましたが、貞

句碑 松尾芭蕉 紙子塚

高宮宿のちょうど真ん中あたりに句碑があります。 「たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子」 貞享元年(1684年)の冬、縁あってこの家の主の許しで一泊した俳人の松尾芭蕉は、自分が横になっている姿の絵を描

無賃橋

高宮宿の端を流れる犬上川に橋がかかっています。 天保のはじめ、彦根藩は増水時の「川止め」で川を渡れなくなるのを解消するため、この地の富豪の藤野四郎兵衛・小林吟右衛門・馬場利左衛門らに命じて費用を広く一

市指定文化財 塔心礎(普光寺廃寺)

普光寺廃寺は、彦根市普光寺町の廣濱神社一帯に建立されていた白鳳寺院です。 白鳳寺院は7世紀後半に建てられた古代寺院で、市内には普光寺廃寺のほかに5か所でその痕跡が確認されています。周囲には「堂畑」「堂

市指定文化財 彦留神社 石造宝塔

彦留神社については、延歴年間(782年~806年)の創祀で、近江守護佐々木京極氏の崇敬が厚く、近郷の在地領主も武人として崇めたと伝わっており、江戸時代には亥大明神・彦留亥神と称し、明治以降に彦留神社と

登録有形文化財 若林家住宅洋室棟

主屋北東隅に接続する南北棟の二階建て。赤色瓦の半切妻屋根に煙突を立て、外壁を人造石洗出しとしています。内部は上下階とも洋室一室で、一階応接室では暖炉や腰掛付き出窓などにチューダー様式を取り入れ、天井の

石碑 恒河寺跡(竹ヶ鼻遺跡)

竹ヶ鼻遺跡は、彦根市竹ヶ鼻農住組合の土地区画整理事業に伴い、平成8年に彦根市教育委員会が発掘調査を行いました。

句碑 森川許六 句碑(五老井跡)

芭蕉高弟の森川許六の別荘跡です。 旧中山道から位左谷川を渡ると東海道新幹線高架があり正面は墓苑ですが、高架下を通り抜け左の墓地管理事務所が奥にあります。 句碑は、彦根藩士・谷鉄臣の筆によるもので、

登録有形文化財 不破家住宅主屋

旧高宮宿で通りに西面する入母屋造妻入の二階建ての建築です。 平面は右手に幅広の土間を通し、左手に四室ずつ二列に並びます。良材を用いた譜請で座敷飾も上質です。塗り込みの外部に柱形などを表し、正面開口部に

登録有形文化財 百々家住宅主屋

鳥居本町は江戸時代を通じて中山道の宿場町として栄えた町です。参勤交代制度の確立する寛永年間(1624年〜1644年)には宿駅の拡充整備が図られ、旧鳥居本村に新たに上矢倉村・西法寺村・百々村が加わって、

鳥居本宿 脇本陣跡

鳥居本宿には脇本陣が二軒ありましたが、本陣前の脇本陣は早くに消滅し、問屋を兼ねた高橋家の様子は、上田道三氏の絵画に残されています。 それによると、間口のうち左三分の一ほどに塀があり、その中央の棟門は脇

高宮宿 脇本陣跡

江戸時代、高宮宿には二軒の脇本陣があり、その一つがこの地に置かれました。 門構えで玄関があり、間口が約8間、建坪が約74坪であったとされています。門前は領主の禁令などを掲示する高札場になっていました。

句碑 松尾芭蕉 句碑

高宮宿の高宮神社随身門横の笠砂園内に松尾芭蕉の句碑があります。 「をりをりに 伊吹をみてや 冬籠」 この句は元禄4年、芭蕉が48歳、冬の作といわれ、芭蕉門弟で千川亭の兄弟の堂に泊まって詠んだ句。

句碑 松尾芭蕉 句碑

芭蕉は1691年秋に大津から江戸に向かう途中で明照寺に立ち寄りました。 寺院内の池泉回遊式庭園には李由の手植えの梅があります。芭蕉は庭園を鑑賞しながら 「百歳の 気色を庭の 落葉かな」という句を詠んで

石碑 松尾芭蕉 笠塚

元禄4年10月、明照寺を訪れた芭蕉は愛弟子李由に形見として与えた桧笠を埋めて笠塚としました。

句碑 李由 句碑

「乞食の事 言うて寝る 夜の雪」 『韻塞』(李由・許六共編)に収録されています。 李由は、本名を河野通賢といいます。明照寺第十四世亮隅は号を李由と稱し、芭蕉の高弟です。現在の荘厳な本堂は李由の手に依

句碑 与謝蕪村 句碑

「鮒ずしや 彦根の城に 雲かかる」 彦根城内の天秤櫓前の廊下橋の脇に与謝蕪村(1716年~1783年)の句碑があります。 鮒ずしは日本三大珍味の一つであり近江を代表する郷土料理です。

登録有形文化財 旧佐藤家住宅主屋

芹川沿いに所在する二階建て町屋。一階正面に鉄格子の出窓を設け、出桁造りの二階は塗り込めて瓦屋根の袖うだつを帳出し、重厚な正面構えを見せます。内部は上下階の全面に洋室を配する他は座敷等となっています。伝