彦根市内の観光施設や観光スポットをご案内します。また、彦根周辺のおすすめスポットも。
彦根藩には船奉行の配下に水主衆がおり、平時には船小屋番舟役として松原湊に詰め、有事には船奉行に従って水軍を構成しました。水主衆の人員は、承応3年(1654年)の55人を初見に、2代井伊直孝代50人、3
松雨亭は、石碑より約70m西にあったとされ、1719年頃に開塾したと伝えられています。 澤村琴所(1686年〜1739年)。名は維顕。琴所は号。 父は彦根藩士・澤村左平太。14歳で彦根藩主・直道公の近
明治政府の学制頒布により、明治7年(1874年)9月、葛籠町、西葛籠町、出町の子どもたちの学び舎として、小玉氏家屋において開校されました。 明治19年11月に簡易科葛籠町小学校と改称。明治22年11月
中山道沿いに、足利義詮の伝説の「産の宮」があります。 南北朝の争乱の頃、足利尊氏の子義詮が、文和四年後光厳天皇を奉して西江州に戦い、湖北を経て大垣を平定し、翌五年京都に帰ることになりました。その時、義
琵琶湖岸に約3キロにわたって続く石寺の松並木で、松の間からは、沖合約6.5キロ先に浮かぶ多景島を見ることができます。彦根八景の一つに数えられます。
彦根市には中山道が通り、江戸から数えて67次の63番目にあたる鳥居本宿と、次の高宮宿の2つの旧宿場町がありました。 高宮宿の南、葛籠町には松並木が残り、往時を偲べます。
彦根道は、高宮宿の北隣に位置する大堀村で中山道を西に折れ、七曲りを経て橋向町で朝鮮人街道に合流する道であり、彦根城外堀の高宮口御門に至ります。彦根から高宮へ抜ける道であることから、高宮道とも呼ばれまし
福満遺跡の発見は、大正7年にさかのぼり、旧城南小学校北側水田の地下約1mの深さのところから、弥生時代後期の土器が掘り出されたことによります。この土器は、現在、城南小学校に保管されており、この地方の弥生
元号「令和」の出典となった万葉集。その万葉集は現存する日本最古の歌集で、収録されている約4,500首のうち、滋賀県を背景に詠まれた和歌は約108首あります。近江の風景が人々の心に深く刻まれていたことが
近年、彦根藩ゆかりの武家屋敷はほとんど残っていません。 とくに50石から300石の知行取(ちぎょうどり)の武家屋敷については大村家を除けば皆無に近い状況にあります。 当家は主屋とともに門や長屋も残って
中山道沿いの高宮宿の中ほどに圓照寺の山門があり、その前に明治天皇行在聖跡の大きな碑があります。 慶長19年(1614年)、徳川家康は佐和山から永原寺へ向かう途中、ここ圓照寺で休息しました。現在「家康公
鳥居本宿の有川家住宅の隣に石碑があります。 有川家住宅の右手の建物は明治11年の明治天皇北陸巡幸の時に増築され、10月の11日と21日に休憩所となりました。
日下部鳴鶴(1838~1922)は、彦根藩士出身で、日本近代の代表的な書家です。 滋賀大学経済学部キャンパス内に屋敷跡の石碑があります。 鳴鶴は天保9年(1938)8月18日に彦根藩士の田中惣右衛門の
滋賀県は東日本と西日本の中間に位置しているため、古来より日本を代表する交通の要所でした。 近江から北陸へ向かう道は、琵琶湖の西岸を通る西近江路と東岸を通る東近江路があり、西近江路を北陸道と呼び、東近江
江戸時代、磨針峠に望湖堂という大きな茶屋が設けられていました。 峠を行き交う旅人は、ここで絶景を楽しみながら「するはり餅」に舌鼓を打ったと言われています。 参勤交代の大名や朝鮮通信使の使節、また幕末の
肥田城遺跡は愛知郡を流れる宇曽川の自然堤防上にある城館遺跡です。大永年間(1521~1528)の築城が伝えられています。地表面に現存する遺構はほとんどありませんが、田畑等の土地の地割り(土地の形)から
彦根市甘呂町に「天九郎俊長淬刃之水(てんくろうとしながさいとうのみず)」という石碑があります。「淬」の漢字は「淬(にら)ぐ」とも読み「赤熱した鉄を水に入れて鍛える、焼きを入れる」という意味です。井戸に
大坂の陣、冬の陣は慶長19年(1614年)、夏の陣は慶長20年(1615年)。 彦根の大洞弁財天近く、JRの線路沿いに大坂の陣で亡くなった人々の供養碑があります。大坂の陣から84年後、元禄12年(16
肥田城は六角氏の命により築かれた高野瀬氏代々の居城ですが、高野瀬秀隆の代に浅井氏に通じたため、永禄2年(1559年)、六角承禎の攻撃を受けました。
妙源寺赤門は石田三成公の佐和山城法華丸の山門を移築したと伝えられています。
旧彦根藩城代家老・木俣氏の末裔として生まれた木俣修(1906年~1983年)は、少年時代より北原白秋氏に認められ、同氏に師事して短歌の道に歩まれ、白秋氏亡き後は、その後継者の一人として活躍されています
「一身に責負ひまして、立ちましし、大老ありてこそ、開港はなりぬ」 井伊大老像前の歌碑は、明治100年にあたる1968年、彦根市と水戸市を親善都市として提携させた井伊直弼の曽孫で当時の彦根市長・井伊直
「川波の 渦の底ひに 身を沈め 祈りは永久の 安らけきなむ」 昔、犬上川がよく決壊したために、人柱として庄屋の娘の「おまるさん」を生き埋めにしたという伝説「まるどの堤」があります。 彦根市甘呂町の集
琵琶湖八景は、昭和25年(1950年)、琵琶湖とその周辺が琵琶湖国定公園に指定されたのを契機に、琵琶湖の雄大さと変化に富んだ景観が選定されました。 その中の一つに、「月明かりに浮かび上がる壮麗な彦根城
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