旧彦根藩水主屋敷 水主小頭・旧磯﨑家住宅

彦根藩には船奉行の配下に水主衆がおり、平時には船小屋番舟役として松原湊に詰め、有事には船奉行に従って水軍を構成しました。水主衆の人員は、承応3年(1654年)の55人を初見に、2代井伊直孝代50人、3代直澄代30人、4代直興代40人と時期によって増減がありました。彼らは「御水主小頭」2人、「同加役」2人、「元〆役」1人、「御召船乗役」2人、「同手代わり役」4人、そして「平御水主」などの職務を与えられ、松原内湖に面した地所に集住して水主町を形成しました。

水主町は、現在も南北方向に走る2間の道路に沿って短冊形に区画された屋敷が整然と3列に並んでおり、敷地の間口は4間、奥行きは8間を標準としています。主屋形式は、切妻造り瓦葺妻入りと入母屋造り草葺妻入りがあり、主屋は間口が3間半、奥行きが6間の例が多く、平面構成は前面に土間をとり、床部分を田の字型に仕切っています。また、主屋の前面または背面に土蔵を設けた例が多く存在します。
旧磯﨑家住宅は、旧水主町の北西隅に位置しています。水主町の主屋は直接道路に接しているのが通例ですが、旧磯﨑家が住宅は道路に面して木戸門と目板瓦葺の塀を構え、その奥に主屋を配置する武家屋敷構造となっています。これは、旧磯﨑家が水主小頭を勤めていたことに関連するものと考えられます。主屋は、間口が4間、奥行きが3間で、その西側に間口2間半、奥行き3間半の座敷棟が付属し、主屋北側に台所棟、南側に水回り棟(旧雑小屋)が付設されています。座敷棟の南には土蔵が1棟存在します。また主屋北端には、近年、2間×5間半強の増築棟が増築されました。
主屋の平面構成は、東側の道路に接して門が開き、「おもてのにわ」「さんじょうのま」と続き、その北には「だいどころ」と「いたのま」があります。水回り棟には便所、風呂、洗面所、物置部屋を配し、奥に「よじょうはんのま」があります。座敷棟には「なかのま」と「ざしき」があり、長押を廻し欄間を配しています。「ざしき」は9畳で、床の間を備え、廊下側に仏間を設けています。「なかのま」には押入れが付設されています。増築棟には物置、寝室、居間があります。
旧磯﨑家には建物配置を記した「家相図」が残っており、現在の主屋、座敷棟、台所棟、水回り棟(雑小屋)の各棟が天保14年(1843年)に建てられたと推定されます。その後、道路に沿って門と塀が設けられ、幾度かの増改築を重ねて現在にいたっています。
水主町は、彦根藩の水主衆が集住した町であり、今日でも往時の景観を比較的良好に残す地区です。中でも旧磯﨑家住宅は、水主小頭の役職にあった江戸時代後期の姿を留めており、同家に伝来した4,535点に登る古文書史料とともに、彦根藩の水主衆に関する調査研究にも大きく寄与する歴史的建造物です。

※外観のみで、内観は非公開となっております。

旧彦根藩水主屋敷 水主小頭・旧磯﨑家住宅

所在地滋賀県彦根市松原1丁目