井伊直弼のブレーン、長野主膳の門人に中村長平という町人がいました。
油屋という屋号の郷宿を業としていました。安政元年(1854年)、長平19才の時、長野主膳義言の歌学及び国学の家塾『桃廼舎』に入門します。
義言は、藩主井伊直弼によって、藩校である弘道館の国学方として、20人扶持で召し抱えられるのですが、その後直弼が大老職に就任すると、義言はますます幕府の朝廷工作や、京に於ける風聞探索の仕事に引張り出されます。義言が命により京にある時は、長平もしばしば師にしたがって、下働きをしました。
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