目の前に広がる凹地は、江戸時代の外堀跡です。
かつては、現在の車道を含んだ堀幅があり、満々と水を湛えていました。江戸時代には、この外堀はさらに城下町の北東までまっすぐに伸びて御船入で松原内湖につながり、さらに琵琶湖に通じていました。
彦根城は内堀・中堀・外堀の3重の堀が城山を取り囲むように設けられ、城下町が広がっていました。現在、内堀と中堀は往時の姿を良好に留めていますが、外堀については戦後のマラリア対策により埋め立てられて道路(昭和新道)となり、当所の凹地のほか数か所が残っているに過ぎません。