句碑 伊藤疇坪(伊藤忠二代目)句碑

荒神山の北尾根の先端といえるところに、近江商人・伊藤忠兵衛(二代目)の句碑がある。

 彦根市子どもセンターの駐車場から右手へ神社へ上る自動車道があり、50mほどのぼる。右手が神社で左へ山道が続き、なだらかな坂道を100mほど登る。少し開けたところに伊藤疇坪(ちゅうへい・雅号)の句碑がある。
 若いころから海外の事情を見聞きして歩き、さまざまな国の情報を得ながらも、日本人として俳諧への道を志すことは忘れないでいた。
 「湖の国、近江に育った私は、郷土の風景に慣れ過ぎたが、芦の芽に憑かれたもののように一生を過ごしてきた。青芦・枯芦・芦の穂まで、自然の姿が私に話かけてくれるようで、わけても早春のさざなみの水の面に、青を映ずる芦の芽にはいつ見ても立ち去りがたい思いがする。」とこの句について氏は書いている。この句は高浜虚子翁の選により、1931年(昭和6年)帝国風景院賞を受けている。
 伊藤疇坪は若くして英国に留学、帰国後は父・初代忠兵衛の事業を継いで、丸紅飯田・伊藤忠商事・呉羽紡績の各社を拡大し、戦前・戦後を通じ貿易を推進し、実業界の重鎮であった。
 一方で文教問題にも関心を寄せ、甲南学園、大阪大学の創立に力を尽くし、仮名文学界の会長として国語、国字の改革にも熱心であった。
 句碑の裏面には仮名文字で経歴などが銘板に書かれてある。

句碑 伊藤疇坪(伊藤忠二代目)句碑

所在地滋賀県彦根市日夏町