石碑 高宮口御門跡

彦根城の外堀には7つの口が開いていました。 高宮口御門は、中山道の高宮方面から彦根城下に入る「彦根道」に通じるとともに、朝鮮人街道にもつながる重要な口でした。また高宮口を入り、北の切通口まで城下町をま

佐和山城大手門跡

東山道(のちの中山道)側に開いていた佐和山城正面の大手口の跡です。 かつて、ここには大手門が築かれ、左右に土を盛って築いた土塁が伸びていました。大手門は彦根市内に現存する宗安寺の表門と伝えられており、

中山道 摺針峠

中山道は、鳥居本の宿場町から山道を登って江戸へ下っていきました。山道を曲がると急に視界が開け、この峠から眺める琵琶湖や湖東平野の眺めは最高だったといわれています。 摺針峠には、弘法大師にちなむ逸話が残

石碑 長野主膳義言屋敷跡

井伊直弼の片腕として活躍した長野主膳。埋木舎時代には国学の師として、そして藩主・大老時代には優秀なブレーンとして直弼政権を支えました。その長野主膳の屋敷跡が彦根市立花町にあります。 現在は駐車場となっ

市指定文化財 金亀会館

金亀会館は、藩校弘道館の講堂を大正12年に中央町の現在地に移築した建物です。講堂は、中央に「本堂」、周囲に「庇」、さらに前後には「孫庇」を設け、正面中央に切妻屋根の玄関を付けています。後ろの孫庇の中央

連着町の腹痛石

彦根城が築城される以前、彦根山には、近江の国司藤原房前が亡母の供養に建立した彦根寺という霊験あらたかな古刹がありました。 房前の護持仏であった金色の亀の背に乗った一寸八分の観音様を本尊としていたため、

虎徹の井戸跡

長曽根虎徹(1596〜1678)は名を興里(おきさと)、入道して古鉄・虎徹と称しました。近江長曽根に生まれ、江戸に出て刀工として大成したとされている。虎徹が作刀の修行をしたとされる井戸が今も長曽根の湖

芹川のけやき並木

彦根城築城の際、南側に対する防御と城下町用地を確保するために、芹川の流路を現在の位置に付け替え、両岸には護岸のため多くの樹木が植えられました。 その当時植えられたけやきは、今では樹齢400年を超える巨

石碑 花の生涯記念碑

世情騒然たる幕末に、開国の英断を下した大老井伊直弼の波乱に富んだ一生を描いた「花の生涯」(作者:舟橋聖一=彦根名誉市民第一号)が発表され、人々に深い感銘を与え、映画・演劇として、またNHK大河ドラマを

義言地蔵(長野義言牢屋・処刑跡)

城町郵便局の前に義言地蔵尊がひっそり佇んでいます。ここに祀られた長野主膳義言(ながのしゅぜんよしとき)は井伊直弼の腹心として幕末政治に活躍しましたが、直弼亡き後は、藩論も尊皇攘夷に転換する中、直弼の頭

石川千代松像

彦根旧港湾のほとりに、石川千代松博士の銅像が建てられています。 石川千代松(1861〜1935年)は、琵琶湖に産する小鮎は鮎が湖内に封じ込められてできたた生態学上にいう陸封現象の所産であって、鮎と別種

石碑 湖東焼窯跡

佐和山の麓、近江鉄道本線が走るトンネルを彦根側に出た西側一帯に湖東焼の窯跡が残っています。 湖東焼は江戸時代後期、文政12年(1829年)、彦根の商人絹屋半兵衛が、当時先端技術の華であった磁器の焼成導

旧魚屋町の街並み

彦根市には、彦根三十五万石(まんごく)の往時を偲ばせる古い町並みが、比較的よく残っています。白壁に紅殻格子(べんがらごうし)、虫篭窓(むしごまど)、二階の低い建物が通りに面して続いています。本町二丁目

名水百選 十王村の水

西今町の十字路の角、家並が続く中に小さな池があり、中央には六角形の地蔵堂がまつられています。この池に湧き出る水は、すでに元禄年間に「湖東三名水の一つ」として知られていました(他は五個荘清水ヶ鼻の水、醒

登録有形文化財 中村商家保存館

真宗信仰に生きた商人の家。当家は寛永年間(1628年〜47年)、彦根城が完成した頃とされる1622年とほぼ同じ時代に、現在の地に地割りを貰い本家から分かれて居を構え、酒醸を創業したのがその始まりです。

圓常寺

彦根城を完成させた2代直孝公が母の菩提のため建立したお寺です。本寺には県下唯一快慶仏立像阿弥陀如来、また、13体揃った閣問堂があります。

龍潭寺

慶長6年に移建改装され、初代藩主井伊直政の建立による禅僧の専門道場として、多数の造園学僧を輩出しました。白砂に48の石を組んだ 方丈南庭「ふだらくの庭」と、彦根市指定文化財である蓬莱山の山水の庭園が知

青岸寺

青岸寺(前身は米泉寺と称す)は、南北朝時代に近江の守護職、佐々木京極道誉によって創建されましたが、永正年間(1500年代)の初めに焼失し、関ヶ原の戦いの後、井伊家とともに彦根城に移った大雲寺三世要津守

金毘羅宮・慈眼寺

交通安全・学業成就・ぼけ封じなどのご利益のある寺として、多くの祈願者が参拝しています。境内には樹齢1200年といわれる三本杉が堂々とそびえ立ち、厳かな雰囲気を醸し出しています。

滋賀縣護國神社

明治9年に官祭招魂社として創建され、後「護國神社」と改称されました。 明治戊辰の役から西南の役、日清・日露戦争さらには大東亜戦争に至る滋賀県出身の戦没英霊を祭祀し、今は世界平和を願い祈る参拝者が数多く

済福寺

彦根大仏と呼ばれている5.5mの本尊、大仏延命地蔵菩薩は彦根藩ゆかりの江戸期建立。その体内には11代藩 主直中が夢のお告げにより寄進した胎内仏「安産地蔵尊」が祀られ、子宝・安産の祈 願寺としての信仰を

宗安寺

初代藩主直政が上野国から移した浄土宗のお寺で、朱塗りの門があることから「赤門」 と呼ばれる山門が目印です。 本尊の阿弥陀如来は夏の陣の際に大坂城より持ち出された淀君の念持佛。江戸時代には朝鮮通信使の宿

天満宮 北野神社

由緒…彦根藩2代藩主井伊直孝公が彦根城築城の際建立。 祭神…菅原道真公(学問の神) 祭礼…彦根十日ゑびす祭 商売繁盛・福笹を求め賑わう。

大洞弁財天 長寿院

4代藩主井伊直興が日光東照宮を修造した大工を使って建てたもので、権現造りの優美な本堂は彦根日光とも呼ばれます。ここに参拝すれば三百八十一箇所に詣でた功徳があるといわれています。 また山門の扉が額縁とな