無賃橋

高宮宿の端を流れる犬上川に橋がかかっています。 天保のはじめ、彦根藩は増水時の「川止め」で川を渡れなくなるのを解消するため、この地の富豪の藤野四郎兵衛・小林吟右衛門・馬場利左衛門らに命じて費用を広く一

市指定文化財 塔心礎(普光寺廃寺)

普光寺廃寺は、彦根市普光寺町の廣濱神社一帯に建立されていた白鳳寺院です。 白鳳寺院は7世紀後半に建てられた古代寺院で、市内には普光寺廃寺のほかに5か所でその痕跡が確認されています。周囲には「堂畑」「堂

市指定文化財 彦留神社 石造宝塔

彦留神社については、延歴年間(782年~806年)の創祀で、近江守護佐々木京極氏の崇敬が厚く、近郷の在地領主も武人として崇めたと伝わっており、江戸時代には亥大明神・彦留亥神と称し、明治以降に彦留神社と

登録有形文化財 若林家住宅洋室棟

主屋北東隅に接続する南北棟の二階建て。赤色瓦の半切妻屋根に煙突を立て、外壁を人造石洗出しとしています。内部は上下階とも洋室一室で、一階応接室では暖炉や腰掛付き出窓などにチューダー様式を取り入れ、天井の

石碑 恒河寺跡(竹ヶ鼻遺跡)

竹ヶ鼻遺跡は、彦根市竹ヶ鼻農住組合の土地区画整理事業に伴い、平成8年に彦根市教育委員会が発掘調査を行いました。

句碑 森川許六 句碑(五老井跡)

芭蕉高弟の森川許六の別荘跡です。 旧中山道から位左谷川を渡ると東海道新幹線高架があり正面は墓苑ですが、高架下を通り抜け左の墓地管理事務所が奥にあります。 句碑は、彦根藩士・谷鉄臣の筆によるもので、

登録有形文化財 不破家住宅主屋

旧高宮宿で通りに西面する入母屋造妻入の二階建ての建築です。 平面は右手に幅広の土間を通し、左手に四室ずつ二列に並びます。良材を用いた譜請で座敷飾も上質です。塗り込みの外部に柱形などを表し、正面開口部に

登録有形文化財 百々家住宅主屋

鳥居本町は江戸時代を通じて中山道の宿場町として栄えた町です。参勤交代制度の確立する寛永年間(1624年〜1644年)には宿駅の拡充整備が図られ、旧鳥居本村に新たに上矢倉村・西法寺村・百々村が加わって、

鳥居本宿 脇本陣跡

鳥居本宿には脇本陣が二軒ありましたが、本陣前の脇本陣は早くに消滅し、問屋を兼ねた高橋家の様子は、上田道三氏の絵画に残されています。 それによると、間口のうち左三分の一ほどに塀があり、その中央の棟門は脇

高宮宿 脇本陣跡

江戸時代、高宮宿には二軒の脇本陣があり、その一つがこの地に置かれました。 門構えで玄関があり、間口が約8間、建坪が約74坪であったとされています。門前は領主の禁令などを掲示する高札場になっていました。

句碑 松尾芭蕉 句碑

高宮宿の高宮神社随身門横の笠砂園内に松尾芭蕉の句碑があります。 「をりをりに 伊吹をみてや 冬籠」 この句は元禄4年、芭蕉が48歳、冬の作といわれ、芭蕉門弟で千川亭の兄弟の堂に泊まって詠んだ句。

句碑 松尾芭蕉 句碑

芭蕉は1691年秋に大津から江戸に向かう途中で明照寺に立ち寄りました。 寺院内の池泉回遊式庭園には李由の手植えの梅があります。芭蕉は庭園を鑑賞しながら 「百歳の 気色を庭の 落葉かな」という句を詠んで

石碑 松尾芭蕉 笠塚

元禄4年10月、明照寺を訪れた芭蕉は愛弟子李由に形見として与えた桧笠を埋めて笠塚としました。

句碑 李由 句碑

「乞食の事 言うて寝る 夜の雪」 『韻塞』(李由・許六共編)に収録されています。 李由は、本名を河野通賢といいます。明照寺第十四世亮隅は号を李由と稱し、芭蕉の高弟です。現在の荘厳な本堂は李由の手に依

句碑 与謝蕪村 句碑

「鮒ずしや 彦根の城に 雲かかる」 彦根城内の天秤櫓前の廊下橋の脇に与謝蕪村(1716年~1783年)の句碑があります。 鮒ずしは日本三大珍味の一つであり近江を代表する郷土料理です。

登録有形文化財 旧佐藤家住宅主屋

芹川沿いに所在する二階建て町屋。一階正面に鉄格子の出窓を設け、出桁造りの二階は塗り込めて瓦屋根の袖うだつを帳出し、重厚な正面構えを見せます。内部は上下階の全面に洋室を配する他は座敷等となっています。伝

登録有形文化財 旧石橋家住宅西主屋

中主屋の西側に接続する建ちの低い外観の二階建てで、軒裏まで中塗りで塗り込め、中央に虫籠窓を穿ちます。屋根は切妻造浅瓦葺で、西端に袖うだつが設けられています。内部は中央に通土間をのばし、左右に居室が一列

登録有形文化財 旧石橋家住宅東主屋

通りに南面し、前面に二階建ての表屋を構え、玄関と中庭を介して住居部が建てられています。表屋は前面に出格子をたてて東端を土間とし、住居部は東寄りに土間を通し、居室は整型四間取で後方に風呂等が張り出してい

登録有形文化財 旧石橋家住宅中主屋

東主屋と西主屋の間に棟をそろえて建つ、木造平屋一部二階建て、切妻造浅瓦葺の風格ある構えを持つ町屋です。二階を漆喰塗り込みとし、袖うだつをあげています。西寄りに幅広の土間を通し、背後に広い台所が設けられ

登録有形文化財 森家住宅主屋

通りに南面する二階建ての町屋。 正面を黒漆喰で塗り込めて虫籠窓を穿ち、両袖に漆喰で縁取りした袖うだつを設け、軒先やけらばも漆喰仕上げとしています。内部は東に土間玄関を配し、居室部は手前からミセノマなど

旧彦根藩足軽組屋敷 辻番所

辻番所は間口が1間、奥行きが2間の切妻造りで、朝瓦葺の4畳余りの小さな小屋です。 足軽屋敷の辻(四つ角)に設けられ、見張り窓がついた貴重な施設として「辻番所」と呼ばれています。 辻番所は城下町への侵入

石碑 米惣騒動百姓一揆跡

「米惣」とは米屋惣七のこと。明治3年(1870年)、彦根は悪天候が続き米も不作でした。その上、台風が直撃し堤防が決壊したため、家々が押し流されました。「米惣が池に汚物を投げ込んだから、池の龍が怒った。

石碑 久左の辻

銀座商店街の入口に石碑があります。 江戸時代に彦根藩の御用商人であった近藤久左衛門がこの地一帯を所有していたが、没落後当地に名称のみが残ったとされています。

登録有形文化財 旧志賀谷住宅主屋(本町宿)

旧職人町に位置する町屋です。 木造造二階建て、切妻造浅瓦葺平入で、正面二階には袖壁が設けられています。当初は通り土間に床上部二列六室であったと考えられ、小屋は中心部を和小屋として、その前方後方に登梁を