石碑 回転橋跡

大正9年から昭和2年にかけて彦根港湾が改修整備されました。その港は、ここから東側約700間(1,300m)の城堀を利用した運河となり、松原橋は船の就航に合わせ、当時としても珍しい回転橋となりました。橋

石碑 扇塚

芹川のすぐ近く、旭森公園の隣に神社があり、扇塚の石碑が残されています。 能楽喜多流(北流)は、江戸時代に彦根藩の手厚い保護を受け、この地で発展しました。9代目家元、健志斎古能(号湖遊)は隠居したのち、

石碑 井伊水軍水主町跡

松原村は 1937年(昭和12年)の市制施行に伴い彦根市に合併されるまでは、「犬上郡松原村」として独立した集落でした。 松原村には、1931年(昭和6年)当時、18の字があり、そのうち、水主町は井伊氏

歌碑 井伊直弼大老歌碑

「いろは松」のすぐ近くに井伊直弼の歌碑が建てられています。 安政7年(1860年)正月。直弼は正装姿の自画像を狩野永岳に描かせ、この自詠の和歌を書き添えて、井伊家菩提寺の清凉寺に納めたと伝えられていま

石碑 石田三成屋敷跡

佐和山の麓に、石田三成屋敷跡の石碑があります。 天正18年(1590年)に佐和山城の主となった三成の時代には本丸以外にも二の丸、三の丸などができており、山の下に作られた二重の堀の内側には侍屋敷や足軽屋

石碑 巡礼街道

巡礼街道は彦根だけではなく大津市の寺辺から岩間山へ行く道から千町から滋賀大学教育学部の裏門の前を通って寺辺町に抜け石山寺門前に出る道、近江八幡市の長命寺、 安土の観音正寺への道程等、現在の県道大津能登

石碑 伝馬町高札場跡

中央商店街の通りから少し入った、蓮華寺の角に、昔、高札場がありました。 高札場には、高さ4.2mの屋根組の下に、幕府から出された法令を記した駒形の大きな木札(高札)が掲げられていました。 伝馬町の馬持

石碑 中村長平屋敷跡

井伊直弼のブレーン、長野主膳の門人に中村長平という町人がいました。 油屋という屋号の郷宿を業としていました。安政元年(1854年)、長平19才の時、長野主膳義言の歌学及び国学の家塾『桃廼舎』に入門しま

石碑 森川許六墓所

森川許六は、明暦2年(1656年)8月14日の生まれ。本名を森川百仲といい、禄高300石。通称を五助、五老井・菊阿佛・無々居士を号した彦根藩士で、代々、武術指南役を務める武術の達人でした。 屋敷は、彦

石碑 谷鉄臣屋敷跡

谷鉄臣は、文政5年(1822)に、京町3丁目で渋谷家の長男として生まれました。名は騮太郎といいました。幕末・明治の彦根藩士・医者。字は百錬、号は大湖・如意山人。 17歳のときから、彦根へ帰ってくる27

石碑 百閒橋跡

通称「百間橋」は、当時佐和山城の西に広がっていた松原内湖にクランク状に架けられた通路のうち、松原側(琵琶湖側)に設けられた木橋のことで、古絵図などの記録から幅三間(約5.4m)、総延長三百間(約540

宗安寺赤門

宗安寺赤門は石田三成公の佐和山城大手門を移築したと伝えられている。

石碑 中村不能斎屋敷跡

中村不能斎は彦根藩の儒学者で「彦根山由来記」の著者として有名です。国史・国学を研究し、藩に残されている多くの資料の中から値打ちのあるものを見分ける力があり、筆写した書物が身長の3倍以上にもなったと言わ

石碑 大東義徹生誕地跡

近江鉄道の敷設に深く関与し、近江鉄道の初代社長に就任した大東義徹は、彦根藩士で足軽の小西貞徹の次男として天保12年(1841)に生まれました。 幼名を寛蔵。戊辰戦争に従軍し武功を立てます。戸籍編成の際

高宮宿 本陣跡

高宮宿は、中山道の64番目の宿場町で、現在は滋賀県彦根市高宮町になります。 江戸時代の参勤交代により、大名が泊まる施設として各宿場に設けたのが本陣です。 構造も武家風で、玄関・式台を構え、次座敷・次の

石碑 大久保忠隣幽居跡

大久保忠隣は、松平家の重臣・大久保忠世の長男として三河(愛知県岡崎市)にて1553年に生まれました。 1563年から近習として仕えるようになり、1568年の遠江・堀川城攻めにて初陣を飾り、敵将の首をと

県指定文化財 多賀大社 一の鳥居

多賀大社から西方約4キロメートルの表参道に面して位置する石造明神鳥居は、同社の旧境界域を示しています。 多賀大社の創立は、奈良時代に完成した「古事記」や平安時代に編纂された「延喜式」にも見られます。

登録有形文化財 加藤家住宅(旧布惣)主屋

中山道高宮宿の中心部に建つ元麻布商で、街道に西面して建っています。 木造2階建て。桁行が16.6m、梁間が12.4m、切妻造瓦葺。 前面を店舗、背面を田の字型の床上部とし、正面は海老虹梁状の腕木や二階

句碑 尚白 句碑

「みちばたに 多賀の鳥居の 寒さかな」 尚白は江戸前期の俳人。大津の医者で松尾芭蕉の高弟です。 姓は江左。字(あざな)は三益。近江大津の人で医を業としました。はじめ貞門・談林の俳諧を学びましたが、貞

句碑 松尾芭蕉 紙子塚

高宮宿のちょうど真ん中あたりに句碑があります。 「たのむぞよ 寝酒なき夜の 古紙子」 貞享元年(1684年)の冬、縁あってこの家の主の許しで一泊した俳人の松尾芭蕉は、自分が横になっている姿の絵を描

無賃橋

高宮宿の端を流れる犬上川に橋がかかっています。 天保のはじめ、彦根藩は増水時の「川止め」で川を渡れなくなるのを解消するため、この地の富豪の藤野四郎兵衛・小林吟右衛門・馬場利左衛門らに命じて費用を広く一

市指定文化財 塔心礎(普光寺廃寺)

普光寺廃寺は、彦根市普光寺町の廣濱神社一帯に建立されていた白鳳寺院です。 白鳳寺院は7世紀後半に建てられた古代寺院で、市内には普光寺廃寺のほかに5か所でその痕跡が確認されています。周囲には「堂畑」「堂

市指定文化財 彦留神社 石造宝塔

彦留神社については、延歴年間(782年~806年)の創祀で、近江守護佐々木京極氏の崇敬が厚く、近郷の在地領主も武人として崇めたと伝わっており、江戸時代には亥大明神・彦留亥神と称し、明治以降に彦留神社と

登録有形文化財 若林家住宅洋室棟

主屋北東隅に接続する南北棟の二階建て。赤色瓦の半切妻屋根に煙突を立て、外壁を人造石洗出しとしています。内部は上下階とも洋室一室で、一階応接室では暖炉や腰掛付き出窓などにチューダー様式を取り入れ、天井の